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幕末維新の暗号(下) 群像写真はなぜ撮られ、そして抹殺されたのか (祥伝社文庫)

幕末維新の暗号(下) 群像写真はなぜ撮られ、そして抹殺されたのか (祥伝社文庫)の写真

・北朝系の明治天皇、しかし実は南朝の血を引く若侍にすり替わっていた、なので明治天皇は、南朝を称賛し、全国に15もの南朝神社を立て続けた(p87)

・古代の天皇について記した「古事記」(712)と、日本書紀(720年)の特に前半部分は、史実ではなく天皇の権威づけのために天皇の歴史をねつ造したというのは学問上の常識(p92)

・宮内庁は、900近くの古墳を天皇家の墓だと指定して、調査をさせない(p93)

・明治天皇にすり替わったのは大村寅之助で、それまでは長州にいた、北朝に敗れた南朝天皇の子孫(大室家)は、ひそかに吉野を抜け、長州に落ち延び毛利家の庇護のもとにあった(p115)

・西日本の「薩長連合」と、東日本の「奥羽越列藩同盟」において、東側は、東の天皇という意味で「東武皇帝」を名乗った(p117)

・西郷隆盛は、南朝武将の菊池家の子孫であり、長州にいる、南朝天皇の血を引く大村寅之助を天皇にして南朝を復活させようとした(p120)

・版籍奉還とは、藩という地方の小国家を壊して中央に返上させる見返りとして、藩主(1万石以上)に公家と同等の身分である華族という称号を与えて、士族のボスを抑えた、これは天皇の権威づけ作戦の最たるもの(p122、171)

・華族制度のすごさは、華族となった旧藩主に東京在住(人質)を命じて、地方の反乱の芽をつんだこと、山口組暴力団は同じ方法をとっている(p122)

・1868年正月のもっとも重要な儀式(四方拝)には、明治天皇は欠席したが、正午からの御所での儀式には出席している、四方拝は顔が丸見えだが、御所の儀式は簾の陰に隠れるので(p139)

・屈強な侍を御所に引き入れ、女官の総罷免と、武人の侍従採用があった(p158)

・明治維新後、3か月ほど東京にいた寅之助(明治天皇)は、京都に戻って1869年2月6日に、一条美子(はるこ)と結婚した(p159)

・明治以降に天皇の財産となったものは、日本銀行、横浜正金銀行、三菱、三井、済十、満鉄、日本郵船等の巨大株主、国家予算の3%(現在換算で3兆円)の財産家となった(p179

2011/7/16作成