・江戸時代の大名時計の目盛りは、一刻(約120分)を10分の1に刻んだものが多い、聖職者が鐘をついて時刻を下々の者に知らせる時間知識のエリートの地位を失った時こそが、近代社会の到来である(p3、4)
・天正地震が起きなければ、徳川家康は二か月後に豊臣秀吉の大軍の総攻撃をうけるはずであった、兵力は秀吉のほうが圧倒的に有利、長久手の戦い(1584)で一勝したものの、再び秀吉が大軍で攻めてくれば難しい情勢にあった、滅亡の可能性もあり、屈指者であった、石川数正が裏切った(p11)
・1596年の伏見地震でほとんど死にかけた、伏見城は台所一棟を残して全壊した、秀頼を抱いて一生を得た。真っ先に駆け付けたのは細川忠興であった(p18)
・京の大仏が壊れたのは、秀吉が金をケチって金銅仏に造ってあげなかったため、のちに秀頼が莫大な費用をかけて大仏を、金銅仏にして大仏殿も再建した。しかもこの釣り鐘の銘に難癖をつけられて戦争をしかけられた。この大仏を鋳つぶして、寛永通宝にして全国に流通させた(p28)
・富士山が噴火するときは五年前から軽い地震が増え、二か月前から富士山中だけの火山性地震が毎日続く、前回の宝永噴火のときはそうであったと古文書からうかがえる(p44)
・1946年に昭和南海地震が起きたが、その時の津波の高さは70センチであった、それで現在の大阪は津波の恐ろしさを実体験した人が少ない、これは恐ろしいことである、防災は前回に起きた災害の記録に影響されてしまう(p69)
・日本書紀から現代までに、10回の南海地震が起きている、最近南海トラフが動いたのは、1944年と1946年である(p79)
・1680年(延宝8)の閏8月6日の台風は、江戸時代最大の台風といわれる、江戸の雰囲気を一変させたもの。
・1917(大正6)の10月1日、東京を襲った台風は、東京湾の潮位は海抜3.1メートルまであがり、高潮が市街に流れ込んで、500人が溺死した。築地、木挽町(銀座)までも水浸しとなった(p109)
・藩主自ら西洋帆船にのり、その構造を見た段階で佐賀藩は日本中どこにもない異常な藩となった、鍋島茂義は火縄ではなく、火打石で点火する西洋銃を購入、兵の洋式化をすすめた、戊辰戦争まで佐賀藩は他のどの藩よりも軍事技術で最先端を行った、維新の前半戦は薩長だが、後半戦、日本を平定する段では佐賀藩が武力装置となった(p113、124)
・津波被害が繰り返される場所が、塩入もしくは塩入田とよばれているのを何か所もみる(p186)
・巨大津波では、松は根こそぎ抜けて流され、人や住宅に襲い掛かるで危険である(p187)
・仙台平野は、2000年前、1100年前(貞観津波)、400年前(慶長三陸津波)、そして2011年と四回も大津波に襲われて、内陸4キロ前後まで浸水している、次に来るであろう南海トラフの津波も見ておくべき(p192)
2019年5月6日