・江戸時代に庶民の屋号が適当に帰られたうえに、「苗字必称令」により名家の名字を勝手につけることができたので、今の名字はあいまいなものになっている(p11)
・名字とは、平安時代末に武士のあいだで生まれた通称である、北条時政は名字が「北条」で、姓は「平朝臣」平安時代半ばから「かばね」である朝臣が省略されるようになった。姓は、公式文書において用いられた(p14)
・明治11年における華族474家の中の上位5位は、1)藤原氏、2)清和源氏、3)桓武平氏、4)宇多源氏、5)村上源氏、で386家であり約81%となる(p19)
・熊野大社の分社をまつるようになった武士は、自分の名前を鈴木に改めて、支配下の農民にも同じ名字を与えた、鈴木の名字は熊野大社の末社の分布が濃い東海・関東地方に多い(p27)
・田中の名字は、鈴木や佐藤の名字が広まらなかった近畿から北九州にかけての地域に多い(p30)
・名字は地名から作られるのが原則、地名から発祥した名字は全体の70%前後になる(p37)
・名字が発生した平成時代末より前は、夫婦は生活をともにせず、夫が夜に妻のもとを訪れて夜明けに帰っていく「通い婚」が一般的(p52)
・藤原忠通の祖とする、五摂家(九条、二条、一条、近衛、鷹司)が摂政・関白となることができた(p69)
・源頼朝時代の守護で鎌倉時代末までその地位を保ったものは、下総(千葉家)、常陸(小田)、近江・出雲・隠岐(佐々木)、筑前(少弐)、薩摩(島津)、上総(足利)、下野(小山)、豊後(大
友)がある(p87)
・徳川家康は、京都の加茂神社の神紋と同じ葵の紋を使っているので、京都の加茂神社の布教者(御師)の子孫であると考えられる(p125)
・豊臣秀吉は、豊臣の姓を多くの大名に与えている、例として、前田利家・宇喜田秀家・池田輝政・京極高次・蒲生氏郷等に与えている(p127)
・松平の姓をもらった大名も多く、島津・池田・伊達・前田・蜂須賀・黒田等、だが、明治元年に出された令により、新政府は大名が松平の名字を用いることを禁止している(p128)
・農民が名字帯刀を許されたのは、町年寄・庄屋・宿場の本陣役についている場合等があった(p132)
・徳川家康は、三河統一をなしとげた松平清康の6代前までしか系譜を把握していなかったので、捏造するしかなかった(p143)
・明治3年(1870)に、農民町人も名字を用いることを許す太政官布告がだされた、さらに同年、旧官名を通称にすることを禁止、明治4年に帯刀自由、9年に帯刀禁止令(p151)
・明治5年に通称と実名を併称することを禁止、同年8月に名字を改称してはならないという法令をだした(p151)
・ヨーロッパでの名字のつけ方は、1)父親の個人名、2)身体特徴、3)職業、4)村落内の小地名、家のそばの地形があった(p156)
・明治初年の3000万人のうち、都市にいたのは400万人程度、現在の日本人の87%は農村にいた(p184)