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summary

逆説の日本史 18 幕末年代史編1 (逆説の日本史)

逆説の日本史 18 幕末年代史編1 (逆説の日本史)の写真

・アメリカは、アジア進出、正確に言えば中国との大々的な貿易を望んだために日本の開国を求めた(p15)

・当時、アメリカで最も盛んだった産業の一つが捕鯨、鯨油を取るのが目的で、皮を船上で煮込んで油(灯火用)を取るだけで肉は捨てていた(p20)

・江戸時代に三大改革があるが、財政的に正しいのは「田沼の政治」と呼ばれている改革のみ、三大改革では家臣の給料をコメで払っているのにコメを増産して給料を上げずに、時価で売るのを放任していた(p25)

・アヘン戦争とは、イギリスが清にアヘンを売りつけ、それを没収した清国に対してイギリスが弁償しろと迫り、拒否した清に武力で対応した事件(p53)

・儒教や朱子学の欠点としては、「歴史をねつ造する」というものがある(p71)

・政治家が新しいプロジェクトを実行しようとするとき、検討する
要素は、1)成功の可能性、2)予算、である(p107)

・当時のアメリカは提督(Admiral)は議会承認が必要であった、議会承認が不要でかつ艦隊の指揮権が認められる階級として、代将(Comodor)が必要になった、ペリーは東インド艦隊の司令長官なので大佐から昇格した(p115)

・ペリー艦隊4隻のうち2隻が帆船なのは、補給ができないので石炭がなくても動く船に石炭を大量に積む必要があった(p116)

・当時の日本の大砲は大きくなればなるほど青銅製になる、融点の高い鉄を溶かす高熱の炉が存在していなかったため(p139)

・弾丸自体を円筒形にすることで、ライフルに沿って回転する運動が均一化されて、射程距離や命中精度が上がった(p157)

・お台場の「台」とは、砲台(大砲の台座)であり、正式名称は「品川台場」で、砲台のための人工島である、「お」がつくのは将軍家の施設だから(p167,168)

・老中の阿部正弘が広く意見を求めるという姿勢は、今の民主主義の基準では「いいこと」のように見えるが、結局は幕府の権威を失墜させた、外様大名ばかりか一介の浪士までが御政道に口を出した(p182)

・ペリーが来年まで回答を待つことに対して受諾したのは、ミニ艦隊の船が減らされて食糧が足りなくなったため(p185)

・日米間の交渉は、英語をアメリカ側がオランダ語に訳し、それを日本側のオランダ通詞が漢文化してそれを検討した(p197)

・関税自主権が奪われたことによって失われた日本の富は天文学的なもの(p245)

・下級旗本の子弟が実力で出世できる唯一の道が、勘定吟味役=財務省主計官になること、これは試験があった(p248)

・ロシアのプチャーチンが下田に来た嘉永7年(1854)11.3の翌日に安政東海地震が起き、下田は津波による壊滅的被害を受けた(p263)

・日本人は金貨を古くから当たり前のように使っているが、中国でも欧州でも金貨は殆ど使われていない(p272)

・円とドルの交換レートが、幕府の存亡に大きくかかわった、日本国内は1両=4分(銀貨)であったが、アメリカの使っていた銀貨は3倍の銀量があったので、4ドル(洋銀)=12分(銀貨)を主張した、国内は1両=4分なので、12分=3両となった、ここで外国人はそれを地金にするために金が流出した(p339)

・本来は幕府は金1両に対して16分の正しいレートにすべきであったが、諸外国に比べて金の保有比率が多く、銀の保有量が少なかったためしなかった(p344)

・ハリスは当時の日本に、世界的に見れば近代的貨幣制度の先取りとも言える「一分銀という信用貨幣」があることが理解できなかった(p348)

・関白を息子や弟に譲った場合、譲ったものは太閤と呼ばれる(p357)