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summary

教科書には載っていない大日本帝国の真実

教科書には載っていない大日本帝国の真実の写真

・大日本帝国の成立に大きく関係している事件は、1840年のアヘン戦争(p14)

・東条英機は東京裁判の時に「この裁判はアヘン戦争に遡って双方を対象とすべき」と語った(p17)

・幕府から政権を引き継いだ明治政府は、国を代表する政権として幕府が諸外国との間で結んでいた条約も引き継いだ、なので成立半年で国際的に独立国家として認められた(p26)

・明治維新で行われた改革のうち、もっとも巨大なものは「版籍奉還=幕府大名の領地をすべて没収して国に返還」である(p31)

・薩長土肥の4藩は政府内で幅を利かせる内々の特権は持っていたが、制度としての「特権」は決してつくらなかった、戦勝軍としては世界史的に見ても異例(p33)

・1861年、ロシアは対馬の芋崎を占領した、幕府は困り果ててイギリスに協力を求めてようやくロシアは退去した(p40)

・明治政府は1871年に薩摩、長州、土佐藩からなる国軍(1万人)を創設した(p46)

・明治政府の指導者たちは、勝った軍さえも解体して政府の直属軍のみを正規軍とした、これに反発したのが、長州の萩、佐賀の不平士族、西南戦争である(p47)

・最初の徴兵制度では数%のみだったが、1937年には25%、1944年には77%、間際には90%が招集された(p50)

・義務教育の基礎となる学制を1872年に施行(学費無償化)して3年後には、日本全国で2.4万の小学校を建設(現在:2.6万)した(p62)

・帝国大学は創立順に、東京・京都・東北・九州・北海道・京城(韓国)・台北(台湾)・大阪・名古屋(p64)

・日露の緊張が高まった時、イギリスはその調停から手を引いて「日英通商航海条約=治外法権撤廃」を1894年に結んだ(p68)

・日清戦争当時の両国の財政規模は同程度(日本:9862万円、清国:12000万円)であった(p71)

・遼東半島は満州の南に位置していて、満州にとっての海の玄関口(p77)

・日清戦争の賠償金で八幡製作所が作られたのは有名だが、使われたのはほんの一部、ほとんどは軍備拡張に使用された(p86)

・1905.1に陸軍が旅順要塞の攻略に成功、太平洋艦隊が壊滅した、バルチック艦隊出撃して貫か月後のこと(p102)

・1873(明治6年)において輸入代金は発展途上国にありがちな「外国からの借入」ではなく、自国の産業力(生糸の輸出)で大量の物品を輸入していた(p110、112)

・兵庫商社は三井物産へ、海援隊は三菱商事に引き継がれた、商社の取引額は全日本の67%を占めていた(p117)

・日本は急激な経済成長をして、昭和初期にはイギリスと貿易戦争(綿製品)が起きていた、これは第二次世界大戦の要因のひとつになる(p120)

・自動織機とは、材料の糸が切れた時に自動で補充する機能がついた織機のこと(p123)

・自軍の武器をほとんど国産で賄っていたのは、米英フランスドイツのごく1部でそれに日本も入っていた(p126)

・昭和11年には自転車の生産量が100万台を越して機械系輸出品目の1位になり、イギリスは植民地に輸出された自転車に高い関税をかけた(p127)

・明治初期が外国から借入したのは、1)幕府がフランスから借りたお金を返すとき、2)鉄道敷設、3)武士の秩禄償還(p130)

・念頭に入れておくべきことは、軍部の暴走を国民は熱狂的に支持していた(p134)

・格差社会の証拠に、4大財閥(三井三菱住友安田)の資本金は全体の49.7%(p145)

・当時の国際取引は為替変動での差額は、最終的にゴールドで清算されていたので、ドルを買って利ざやを得るということは最終的に日本から金が流出すること(p148)

・当時の新聞は言論統制により戦争を煽るような報道をしていたわけではない、その前から好戦的な記事を書きまくっていた(p155)

・朝日新聞は戦争批判の記事を書いて、当時の総人口の7分の1にあたる軍関係者から不買運動があり、方針を変えた(p159)

・立憲政友会には三井財閥、立憲民政党には三菱がついてスポンサーになった、安田・古河・住友はそれぞれの政党に資金提供していた(p171)

・当時の総理大臣は基本的には他の国務大臣と同格なので、罷免する権利なし、不一致があった場合は内閣総辞職しかない(p175)

・明治政府の高官は欧米での「キリスト教」に対するものとして「天皇制」を用いた(p179)

・日ソ中立条約の締結の3か月後にドイツはソ連に侵攻したので、4国軍事同盟は結ばれなかった、第二次世界大戦のポイントはソ連であった(p198,202)

・幕末には3000万人の人口が昭和初期には6000万人、戦争前には7000万人、当初は南北アメリカへ移民させていたが新たな移民先を見つける必要があり、それが満州であった(p240)

・ベトコンのゲリラ戦術は日本軍が教えたもの、ベトナム戦争とは行われることがなかった太平洋戦争における日本本土決戦をベトナムで実行したもの(p249)