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教科書には載っていない 太平洋戦争の大誤解

教科書には載っていない 太平洋戦争の大誤解の写真

・対華21か条の要求は全部を合わせて呼ばれることが多いが、実際は14の要求(第1号ー第4号)と、7の希望事項(5号)で構成されていた、袁世凱は第5号に強く反発し、アメリカやドイツが協力し、新聞などに誇張した記事を掲載することで、中国国内で激しい排日運動が巻き起こることになった(p27、28)

・満州国の建国には経済的背景があった、南満州鉄道の罹患争いが発端になっている。ロシア革命も共産主義イデオロギーによってなされた言われるが、ロシア国民の貧困があった(p31)

・国際連盟の規約では、経済制裁できる相手国は連盟に参加している国であり、参加していない国には取り決めは存在していなかった。そのため国際連盟から脱退すれば国際連盟による経済制裁は受けなくて済んだ、日本は本体からは脱退したものの、連盟内にある諸団体(ILOなど)には止まっており、猶予期間中も分担金を払い続けている(p38)

・日本が満州にこだわった理由、1)防衛戦の確保、2)資源、3)人口問題解決、明治5年に3500万人だった人口が、昭和初期には6000万、太平洋戦争直前には7000万人を突破している(p43)

・アメリカの中立法は、アメリカは攻撃された場合を除いては戦争に参加しない、と規定している。ドイツの潜水艦から攻撃を受けた(カーニー号事件)だけでは、国民や議会は納得しなかった(p59)

・第一次世界大戦から二次大戦に至るまで、最大輸出相手国はアメリカで4割を占めていた、アメリカに取っても、カナダ、イギリスに次ぐ3番目の輸出相手であった(p62)

・真珠湾攻撃は、基地内にあった多数の航空機が撃破され、米軍兵士の戦死は2000人以上、空母からの空爆としては、第二次大戦を通してこれが最大である、当時は空母はまだ艦隊では補助的な使用、海軍の王様は戦艦であった(p71)

・昭和14年10月には国家総動員法にもとづいて物価統制令が公布され、国内の物価を同年9月18日の水準に凍結した、闇市では物価の高騰があったが、終戦まで物価高騰、物不足混乱による暴動はほとんど起きなかった、不満を持ちながらも、終戦まで国民経済は破綻しなかった。これはアメリカの予想とは異なった(p76)

・開戦当時、アメリカはフィリピンに15万の兵力、250機の航空兵力、イギリスにはシンガポールに8.5万の陸上部隊と当時世界最強と言われた、戦艦プリンスオブェールズがあり、これで日本のアジア侵攻は食い止められると考えられていたが、両方とも1年ももたずに日本軍に屈してしまった、17年3月にマッカーサーはオーストリアへ移動、4月8日にはバターン半島アメリカ軍主力が降伏、5月7日にはフィリピン全島のアメリカ軍が降伏、アメリカ軍が軍単位で降伏したのは、史上初めて(p77、78)

・日本経済は戦後の経済成長ばかり取りざたされるが、戦前も奇跡の成長をしている、明治維新から70年(戦争直前)までで、実質GNPは6倍、賃金は3倍、鉱工業生産は30倍、農業生産は3倍(p86)

・明治維新のとった自由化政策の4つ(職業選択、交通、居住、土地売買の自由)は、当時の社会からすれば大変な改革であった(p89)

・世界恐慌後に日本は急激な円安状態になっていた、政府は放置したので、1929年には100円=49ドルが、1933年には25ドル程度に低下していた(p101)

・世に言われているブロック経済は、イギリスが日本製品(綿製品)を締め出すために始まったもの、イギリスだけでなくアメリカ、フランスも自国製品を守るために高い関税を課すなどして世界中がブロック経済化した(p103)

・ナチスドイツの侵攻(オーストリア、チェコスロバキアのスデーデン地方、ポーランド等)は、そのほとんどが第一次世界大戦前の旧領土の回復を目的としたもの(p117)

・日本とドイツは共産主義に対して共にたたかおうという戦略を打ち出して、それが日独防共協定となった、これは軍事同盟ではなく、共産主義を防ぐということ、ドイツと日本で共産主義を防ぎましょうという協定である(p130)

・日本の南進政策が日米の対立を決定的にしただけでなく、ドイツとソ連の戦争にも大きな影響を及した、ソ連は満州方面に配置していた大きな兵力を引き上げてドイツ戦に注ぎ込めた(p140)

・大政翼賛会の構想は、尾崎秀実が幹部となっていた昭和研究会が中心となって作られたもの、日中戦争が泥沼化、米英とも一発触発の事態となっていた時期に国家が一体となって戦争できる体制をつくるために右派と左派が団結し、一枚岩になろうという趣旨であった、日本の共産主義化の第一段階として、一党独裁の体制を作ろうとしたもの(p151、152)

・ミッドウェー海戦後にもアメリカのアッツ島、キスカ島、フィリピン全土を占領するなど占領地域を増やしているが、日本が支配地域を失ったのは、昭和18年2月のガダルカナル島の陥落が初めて、昭和19年1月のクェゼリン環礁を失うことで、初めて開戦前に持っていた領地を失い、戦争に負け始めた(p173、175)

・零戦の高い旋回性能は、翼端ねじり下げ、という技術で、主翼がねじれた構造であった。これは最大でも2.5度しかなく、アメリカ軍は戦後になってようやくその秘密を知った(p182)

・戦時中の朝日年鑑には、日本の保有する軍艦として、金剛・比叡・榛名・霧島・扶桑・山城・伊勢・日向・長門・陸奥の10隻登録されている(p185)

・大正11年のワシントン海軍軍縮条約は、海軍などの反発により昭和9年12月に破棄を決定、2年の猶予期間を経て昭和11年に失効した(p186)

・ガダルカナルの戦いでも大規模な撤退作戦が行われている、多数の餓死者を出した悲惨な戦いとして知られているが、大規模な撤退支援作戦(合計3回)が行われたことはほとんど知られていない(p194、196)

・ベリリュー島守備隊1万に対して、アメリカ軍はその3倍を有し、戦艦5隻、巡洋艦8隻を投入するなど物量を圧倒していた、当初2、3日でこの島を攻略するつもりだったが、2か月以上もかかった(昭和19年9−11月)、しかも死傷者の数はほぼ同数であた。日本軍は司令官が自決した後も、一部がゲリラ戦を続行して、終戦2年後の4月にようやく投降した(p202)

・現在公開されたアメリカ海軍の機密文書によると、昭和19年10月から昭和20年3月までの間に、神風特攻を356回受けて、命中した機は140機で命中率は39%、至近距離での自爆は59機、これもある程度の被害を与えたとすると、被害率は17%となり、56%の成功率となる。(p206)

・アメリカ軍のレーダー網に対して、神風特攻隊は先鋒隊がまず駆逐艦を攻撃してレーダー網を破り、後続隊が本艦隊を攻撃する手法をとった。アメリカ軍の艦船の被害の半分は戦争後半の10か月に集中している、その時期には神風特攻が行われているので、村外の大部分は神風特攻とみなされている、ニミッツ元帥もアメリカ海軍の死者は9000人に及んだが、そのほとんどは神風特攻によるものと述懐している(p208)

・当時の4財閥(三井、三菱、住友、安田)は日本国内の会社振り込み資本金の49.7%を占めていた、其れ以外の財閥として、渋沢・浅野・大倉・古河・川崎・藤田財閥がある(p215)

・戦前の日本には、2つの議院(衆議院、貴族院)以外に、枢密院、元老院、陸界軍と強い発言権を持つ機関がいくつも乱立していた(p231)

・日本の植民地は全部失い、数年間占領される屈辱を味わった、ドイツは東西に分断された。戦勝国である、アメリカ、イギリス、フランスもアジアやアフリカにあった植民地のほとんどを戦後10数年で失った、数100年かけて築いてきたものを一気に失った。この戦争での本当の勝利者は、相次いで独立を果たした、アジア・アフリカ諸国ではないかと思える。自由主義が全体主義に買った戦いではなく、帝国主義同士が潰し合いをした戦い、ではないか(p234)