・利子率が低いのは17世紀初頭のイタリアで見られた、当時の著書にも、ローマ帝国衰退以来、欧州の歴史において初めて資本が提供された、これは革命である(利子率が下がっていること)と述べられている(p16)
・16世紀のイタリアは山の頂上までワインのためのブドウ畑になっていた、ワイン製造業は当時の最先端産業なので、ブドウ畑を新たにつくることがないとは、利潤を生み出す投資先がもうないということを意味した(p17)
・利潤率の低下は、設備投資をしても、十分な利益を生み出さない設備、つまり過剰な設備になっていることを意味する(p19)
・ラテン語を独占していたローマ・カトリックと俗語(ドイツ語、英語)でしか情報を得られないプロテスタントとの戦いであった(p43)
・金融緩和の有効性を主張する人達の言い分は、貨幣数量説に基づく、貨幣の流通速度は、一定のもとで「貨幣の数量が物価水準を決定する」という理論、MV=PT(M:貨幣数量、V:速度、P:物価水準、T:取引数量)、しかしこの理論は低金利のもとでは崩れている(p44)
・アメリカは石油価格の主導権を取り返すために1983年に石油先物を取引するWTI市場を作った、これは石油を金融商品化することを意味する、これでメジャーの都合のいい値段で売り買いできるようにした(p50)
・本来は1970年代で終焉の始まりを迎えたはずの資本主義を、アメリカは「電子・金融空間」を創設することで、延命させた(p57)
・1477年のピーク時を100とすると、実質賃金は1597年には、24まで下がった、1477年と同じ水準に回復するのは、1886年となる(p70)
・長い16世紀の新興国であったイギリスでも消費者物価が1477年から上昇し続けた、イギリスの一人当たりのGDPが当時の先進国のイタリアに追いついた時点で価格革命は収束した、それは17世紀半ば、同様に中国の一人当たりのGDPが日米に追いついた時点で、21世紀の価格革命は収束する。日本の成長率を1%、中国を8%として、およそ20年かかる(p79)
・1995年までは、国境のなかに住む国民と資本の利害は一致していたので、資本主義と民主主義は衝突しなかった(p82)
・日本の国内の中小企業の利潤率は1973年にピークをつけた、その時点で国内において拡大路線が終わったことを示唆している(p107)
・長い16世紀のスペイン帝国が戦争を繰り返したのは、当時のシステムが転換しようとしているにも拘わらず、過去のシステムを強化してなんとかしのごうとしたから。今の先進国の経済政策は、当時のスペイン帝国に似ている(p126)
・近代欧州の歴史を理解する上でのターニングポイントとなったのは、16-17世紀にかけて海の国イギリス(英国教会)と、陸の国スペイン(ローマカトリック)の間で起きた戦争である(p141)
・現在は、海の国であるアメリカの覇権体制が崩壊し、EU・中国・ロシアといった陸の国が台頭しつつある(p142)
・12世紀のイタリア、フィレンツエに資本主義の萌芽を認める出来事があった、1)利子を容認、利子と取るという行為は神の所有物である「時間」を人間が奪い取ること(1215年ラテラノ公会議)、2)イタリアのボローニャ大学が、神聖ローマ皇帝から大学として認められた、13世紀にはローマ法王からも認可、中世においては「知」も神の所有物であった(p158)
・知の所有については、宗教改革で、ラテン語から俗語への交代劇を実現させた(p159)
・どの時代であっても、資本主義の本質は、中心・周辺という分割にもとづいて、富やマネーを周辺から集めて、中心に集中させることには変わりは無い(p165)
・世界総人口のうち豊かになれる上限定員は15%前後である、20世紀までの130年間は、先進国の15%の人々が残りの85%から資源を安く購入して、その利益を享受していた(p166)
・日本のキャッシュフローにおいて、家計部門と企業部門を合わせた資金余剰は、48兆円であり、対GDP比率で10.1%もある、これが銀行・生保の金融機関を通じて国債の購入費に当てる事のできる金額(p191)