・綱吉がやったことの意味を、同時代の文献だけで測ることはできない。その本当の意味は、それをやった結果、世の中がどのように変化したかを長いスパンで見ることで見えてくる(p42)
・戦国末期の日本の総石高は1850万石、将軍家は400、旗本・譜代大名の合計は300万石の合計700万石、薩長が幕府を倒せたのは、財政を立て直すことができたが幕府はできなかったから(p48)
・信長秀吉時代には、土地から収穫できるおコメを換算して、当時の通貨単位である「貫」を用いて、銭何貫として表していた(p64)
・商売は卑しい行為なので、商行為を奨励してもいけないし、税金を徴収することは絶対にしてはいけないとされた(p67)
・江戸時代に特有な、貴穀賎金、商売蔑視、尊王思想、士農工商もすべて朱子学からきている(p75)
・勝海舟の曽祖父は、盲人にだけ特別に許された職業、高利貸し業で巨万の富を築いて、その資金で旗本株を買った。これが認められたのは養子縁組という体裁をとっていたから、これは儒教の強い中国や韓国では認められなかった(p79)
・モンゴルは騎兵の力で世界各国を征服したけれど、海に囲まれた日本は騎兵というモンゴル最大の強みを活用できなかった、これが日本が元軍を退けられた最大の理由(p95)
・大政奉還が成り、慶応最後の日に明治天皇は、四国の香川県坂出にある崇徳上皇(平安末期)の御陵に勅使を派遣している。それは明治天皇が心から怨霊の祟りを恐れていたから(p234)
・聖武天皇は、長屋王の祟りと天皇の死という大きな怨霊と穢れから逃れるために、わずか5年の間に、4度の遷都をしている(p249)
・748年に聖武天皇は元号を「天平感宝」と改めた、大仏造立のために必要としていた黄金が陸奥で見つかったから(p251)
・遷都、新仏教の力をもってしても怨霊に敵わないので、ついに怨霊を名指しして謝罪し、礼を尽くして鎮魂するという「怨霊信仰」が生まれた(p268)
・お経とは、本来仏教の教えを説いたもので、怨霊を鎮めるための呪文ではない(p309)
・琵琶法師に語らせれば、鎮魂に携わる人の範囲は大きく広がる。聞くだけでいいので、文字の読めない庶民にまで範囲が広がる(p325)
・読み書きの前に大切なのは、読み書きできるようになりたい、と思うこと(p330)
・生前の存在が大きければ大きいほど、高貴であればあるほど、それが亡くなったときには巨大なマイナスになる、それが遷都である(p352)
・自らの穢れを自覚し、実権を握ることを希望した武士と、どうせいらないものなのだから武士におしつければよいと思った天皇家で、利害が一致した。これば両者が並存できた理由(p364)
・きれいな水は穢れを洗い流す力を持っているので、川に橋を架けなかった、なので被差別部落はほとんどが橋のない川の向こうにある(p369)
・死や血を穢れとする文化は、どう考えても狩猟文化ではない(p376)
・新嘗祭(11/23)は最新の五穀を神様にささげて、それを天皇が自ら食するもの。この祭りは、天皇が日本における農耕文化(穢れ=毛枯れ)の長であることを意味している(p377)
・1925年に太平洋戦争を予言したような本が日本で発売されていた(p398)
・チンギスハーンは、大虐殺(シャーリゴルゴラ)を行った後に、その都市が使えなくなり、退却している。一度に全員殺したので死体が腐って悪臭が町に充満したから(p469)