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逆説の世界史 1 古代エジプトと中華帝国の興廃

逆説の世界史 1 古代エジプトと中華帝国の興廃の写真

・歴史学において「地球は丸い」という真理にあたるものは、「歴史は繋がり(連続性)である」ということ(p9)

・逆説の世界史を書いていく目的は、歴史というものを人間共通の知恵として多くの人々に理解してもらいたい、自分が解決できない疑問「文明はどのように発達し、なぜ衰退するのか」を極めたい(p11)

・紙(paper)の語源は、パピルス(papyrus)であるが、問題はパピルスと紙はまるで違うものであること。パピルスの構造的欠陥は、「折る」ことができない、従って、保存するためには、一枚絵のようにシートのまま保存するか、巻物にして保存するしかない(p17)

・紙とパピルスの違いは、紙は植物の繊維をいったんバラバラにして、ちょうど金属を鋳型に流すようにして作るところにある。このため全部が均質化され、前後左右どの方向への変形にも耐える、つまり「折れる」ようになる(p17)

・農業を自然との共存だとする人もいるが、これは誤りで、農業とは人類の地球環境および自然破壊の第一歩である(p22)

・遊びも、学問も出来るのは、生活に余裕のある人である。人間の余裕とは「食うに困らない」ということが根本で、それは遡れば「ナイルの賜物」というところまで行きつく(p24)

・ホモサピエンスは、それ以前の猿人・原人に比べて、完全な直立歩行をして繁殖能力が強く、頭脳容積が大きいなどの特徴があるが、問題はこの形は25万年前に完成していること、ハードとしては25万年前に完成品となっているが、文明が発達し始めたのは、せいぜい数千年前、24万年間もの間、文明は生まれなかったし発達しなかった(p27)

・話し言葉では大量の情報が伝えられないので、伝承は途切れて情報が失われてしまう。三内丸山で情報の蓄積が不可能であったので、進歩しなかった(p28)

・紙が電子メディアより一つだけ優れた点というのは、閲覧するための機器を必要としないこと(p34)

・エジプト文明は紀元前3000年頃に初期王朝が始まり、最後のプトレマイオス朝がローマ帝国に滅ぼされたことで終わったが、3000年も続いたのは驚くべきこと、しかし、それが現代の世界文明の水準まで発展しなかったのか、という大きな疑問も残る(p39)

・○○年の第○月、というように数字で呼ぶのは、イスラム圏で今も採用されている、純然たる太陰暦。他に、誤差が一か月分たまったところで、1年を13か月として、太陽暦とのズレを調整していく方法もある。複雑な計算が必要だが、月に名前をつけても、その月の季節が変わらないという利点がある、これが太陰太陽暦である(p42)

・ビールが作れる文明とは、食料が豊富に生産され、人間が食べる分は十分に確保できていたということ(p43)

・使われている名とは別に実名があり、それを知られることは他人の支配を受けるという信仰があった、これを言霊信仰という。近代以前の中国で男子は、諱(イミナ)=実名と、字(アザナ)=呼びかけ用、を持っていた(p51、63)

・食料への希求は、大衆も含めた大勢の人々が求めるところだが、来世への希求はまず王族など一部の選ばれた人間(他には、神官・僧侶などの聖職者階級)が求めるもの、文明・文化の本質はレジャーである(p56、57)

・古代エジプト人は、霊魂というものを、「イブ(心臓)」「シュト(影)」「レン(名前)」「バー(魂)」「カー(精神)」の5要素の合わさったものと考えていた(p62)

・日本は現在でも、恋人や子供でもない限りは、女性のファーストネームを呼び捨てにするのは失礼な行為である。それはイミナだから(p67)

・ピラミッドが公共事業の目的によって造られたのであれば、一人の王の時代に複数のピラミッドが造られても不思議はない。また、一代で複数造られるものが墓である可能性は低い(p77)

・現代の科学技術では、石というものが切り出された年代を確定する方法がない。有機物ならば炭素の変質具合によって正確に年代を確定することができるが(p96)

・エジプトの工具は、基本的に、銅・石・麻縄、にすぎない。そんな削られるものより硬くない工具を使って、あのような精密なピラミッドの部品を造ったというのは、なかなか証明できない(p101)

・近代以前と以降を大きく分けるものは、情報の公開、である。近代以前の日本では、新しく発見された病気の治療法、数学の新しい解法は、秘伝として公開されないケースが多かった。流派を結成して内容を競い合っていたから(p106)

・文明が発達したのは、文字が発明されて、物事を記録しておくことが出来るようになったから、蓄積と同時に多くの人間が共有できる、これば数千年前から文明を発達させることができるようになった秘密である(p107)

・古代エジプトでは、数学や技術と宗教的祭儀が固く結びついていたため、文明が危機に瀕したとき、それを文字化する努力も後世に伝える努力もされなかったのではないか。自分たちと異なる神を信じる者に、それらをタダで渡す義理はないから(p108)

・インターネット上においては、個人の意見が検閲を受けずに自由に発表できる、それがパンフレットを個人で作成するのとは異なるのは、極めて容易にコストに悩まされることなく、世界に向かってあまねく主張を述べられる点(p117)

・聖書は旧約も新約も、元はギリシア語で書かれていた、最初はイエスが生きていた時代の言語である、古典ヘブライ語であったが、一般には、ギリシア語、さらに、ラテン語訳ができた。ローマカトリック教会は、ラテン語聖書を利用していた(p118)

・14世紀イギリス人、ジョン・ウィクリフは、ローマカトリックの教義に疑問を持ち、初めて聖書をラテン語から英語に訳した。当時の英国王妃は、ボヘミア(チェコ)出身で、彼女はチェコ語訳の聖書を持っていた、これをおかしいと思って英語訳を完成させた(p120)

・それから100年、基本的には同じことをやった、マルティン・ルター、ジャン・カルバンが成功した理由は、グーテンベルクにより、活版印刷技術が実用化させれいたから(p121、122)

・化学も技術も一番発展する条件は、それを公開することだが、情報は独占してこそ利益を得られる(p123)

・最初は覚えやすい絵文字(ヒエログリフ)から始まったが、絵文字は書く手間がめんどくさいので、どの世界でも文字は簡略化、記号化の道をたどった、そのために絵文字は衰えた(p145)

・国が滅んだからといって必ずしもそこで使われていた文字が死語になるとは限らない、国が滅びてもラテン語は生き続けた。ヒエログリフ(象形文字)やインダス文字が国と共に滅びたが、ラテン語が生き続けた違いは、宗教である(p147)

・皇帝の名前を書く以外は、文字を人為的に欠損させて使用した(p155)

・天皇陵の中に、ピラミッド・テキストのようなものが見つかる可能性は、絶無であろう。その理由は、言霊である、彼らを復活させないために、死者の実名を残さない。実名を呼べば、言霊の力でその人間が復活してしまうかもしれない(p172、174)

・ピラミッドとは、墓というよりも、魂を来世に送る装置であるかもしれない。クフ王のピラミッドの脇から、地中に埋納された二隻目の「太陽の船」を発見した(p175)

・殷は、後発の「周」に滅ぼされたが、殷を築いた漢民族の一員の人々は中国全土に散らばり、農地を奪われたので商業に従事することになり、商人と呼ばれたという説もある、殷の首都「商」にちなんだ(p205、237)

・宋は、南宋として生き続けた。南宋の初代皇帝は、北宋の最後の皇帝の弟である(p207)

・皇帝に逆らえば一家皆殺しにされても文句は言えないが、皇帝ですら、父親がなくなると公職を辞し、故郷に帰って数年間の喪に服すことが当然とされていて、公務に専念しろとは言えない。それをすれば、人倫の根本を乱した皇帝として、誰も服従しなくなる(p220)

・倭寇=日本人海賊、は9割が中国人と中国側の文献にあるように、貿易をやっているだけで犯罪者にカウントされるから。まともな貿易業者も、官の取り締まりに対抗するために武装を余儀なくされる、また本拠を日本に置くことで、官の追及を逃れようとした。日本人(倭寇)と名乗っておいたほうが、取り締まりを逃れる効果がある(p234)

・イギリスが軍事力で清を屈服させようとしたのは、直接的にはアヘンを売りつけることだが、さらに不満に思っていたことは、清が頑なに、西洋型の自由貿易を認めないことであった(p242)

・中国が軍隊の完全近代化に踏み切ったのは、日清戦争に敗れ、アメリカ帰りの孫文が辛亥革命を主導し、中華民国を成立させてから(p244)

・中国には、優秀だが貧しい若者に対して、親戚全体からお金を出す習慣がある、しかし高級官僚などになった瞬間に、便宜を図るように要求してくる、親族からの要求は、「孝」であり、絶対断れない、「公」に優先するから(p245、257)

・韓国初の女性大統領になった朴氏の言葉「国民が私の家族で、家族のためにすべてを捧げる母の気持ちで国民に尽くす」は、金日成ファミリーの「すべての国民の父となる」という考え方と、根本の部分はまるで同じ(p263)

・朝鮮という名称でなく、「高麗」の音訳である「Korea」を用いている。(p267)

・徳川家康は、他の大名を圧倒して将軍の地位に上り詰めたため、同輩だった大名には、徳川家が主人であるという意識はない。この状況を改善するために、あまり盛んでなかった、朱子学を、武士の第一教養として採用し奨励した(p274)

・日本において天皇家が連綿と続いてきたのは、どんな「覇者」も神の子孫である家系=天皇を、滅ぼすことは恐れ多くて出来なかった(p278)

・毛沢東は、民族に対する大罪(7000万人を死に追いやった)を清算させられることはなかった。第一次天安門事件が起きた1976年に病死したので。割りを食ったのが、彼の後継者であった「四人組」と呼ばれるグループで、一方的な裁判で、死刑や無期懲役の判決を受けた(p302)

・民主主義の基本的前提として、人間はすべて平等という概念がなければならない。個々の人間に価値の相違があるとすれば、当然一人一票では不公平ということになる。少数の選ばれたエリートが多くの民衆を指導するという共産党独裁制には以降できたが、人間平等とする、民主主義は根付かないことになった(p318、321)

・中国には、原則的に死者を弔おうという考え方はなく、生前悪人であった者は死後も徹底的に糾弾され鵜べきと考える。これも儒教の大きな特徴である。(p326)