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summary

日本史の法則 (河出新書)

日本史の法則 (河出新書)の写真

・天武天皇の時代に関所を整備した、北陸から都に至る北陸道には、現在の福井県に愛発関、美濃国(現在の岐阜県)には不破関、三重県には鈴鹿関をおいた、この三つの関を閉じてしまえば、北陸道・東山道・東海道を押さえることができた、福井・岐阜・三重を縦に結ぶラインで日本列島を東西半分に分けた、このラインからの西が「こちら側」(p20)

・関東に土着した武士たちは元を辿れば平家、だから鎌倉幕府を支える有力御家人はみな平家である、源平の戦いとは、源氏と平氏の権力争いではなく在地領地の独立戦争であった(p29)

・承久の乱の場合は鎌倉幕府は3000箇所の荘園(西国中心)を得た、そこに東国の御家人が入って行ったので幕府の勢力は西へと延びていった(p35)

・1392年に室町幕府は南北朝合一を行い、幕府ほ京都への課税が実現した、その上で東北を直轄領から切り離して、鎌倉公方の管理下においた(p37)また、都と鄙(ひな)に分類した、都に分類されるのは、近畿・中国・四国、残りの関東と東北、九州は鄙であった(p39)守護大名(近畿、中国、四国)は京都に集まった(p40)

・皇統を二つに分けるメリットは、徳川幕府が本願寺を東と西に分けてしまったのと同じ、巨大な力を持っている勢力を二つに割ってしまえば大きな力を発揮できなくなる(p81)

・前方後円墳という不自然な形状は、奈良の王権と吉備の王権が連合し、それぞれの古墳の形が複合するとあの形となる(p99)

・邪馬台国において神を祀る神事がトップで、政治はその下に置かれていた(p134)

・700年くらいの時期に、単婚小家族から、直径相続への家族形態の移り変わりが重なる、それまでは天皇は兄弟の間で相続してきた(p215)