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日本史が面白くなる「地名」の秘密 (光文社知恵の森文庫)

日本史が面白くなる「地名」の秘密 (光文社知恵の森文庫)の写真

・日出る国の意訳として「日本」という国を与え、日本に漢字が伝わった頃交流していた中国南北朝時代(5ー6世紀)の南朝における「呉音」読みで、日本をニッポンとか、ニホンと呼ぶようになったのだろう(p15)1934年(昭和9年)に文部省臨時国語調査会は「ニッポン」とすることを提案したが、公式には採択されていない、NHKは正式な国号として使う場合は「ニッポン」そのほかの場合には「ニホン」と言っても良いと決めた(p17)

・明が日明貿易にごくわずかな遣明船に限定したのに、琉球王国には人口に不相応な貿易枠を与えたので中継貿易で潤った(p26)秀吉は薩摩の島津氏が沖縄を支配下に収めるのを支持した、そんなこともあり、形式的には琉球は清の従属国だが、同時に薩摩支配下にあることになった(p27)

・サンフランシスコ平和条約で、日本が失った領域は、朝鮮・台湾とその附属諸島・千島列島・南樺太、委任統治領であった南洋諸島、中国から租借していた関東州(日露戦争後に取得)、のちに返還されたが、沖縄・奄美・小笠原が米国統治下に置かれた、南極の権利も放棄した(p29、31)

・716年には高句麗人を移して、埼玉県日高市・高麗郡を設置した、東京都狛江市、神奈川県の大磯町高麗、高座郡も同系統、埼玉県新座市は、武蔵国新羅郡が表記を「新座」と変えて、読み方が「にいざ」と変化した(p42)

・大日本六十余州は正確には68、吉備国が三つ(備前・備中・備後)に分かれたり、越前から加賀が分離したりした、蝦夷地(北海道)にも11カ国が設定された(p48)

・鈴木という苗字は、植物のススキという「やまと言葉」に由来するもので、鈴・木という漢字は当て字であり、意味はない(p50)

・郡というのは、律令制で国と同時に成立した、近代の地方制度では、市制が実施されていないところだけが、町村名の前に郡をつけて「郡部」としているが、江戸時代以前には、すべて(京都も江戸)もどこかの郡に属していた(p54)兵庫県垂水区は、播磨国明石郡である(p56)

・全国の県庁所在地で、いかなる意味でも城下町でなかったのは、札幌・千葉・横浜・新潟・長野・奈良・神戸・長崎・宮崎・那覇のみである。城下町は、安土桃山時代から江戸初期にかけて根本的な改造を受けている(p64)港町として栄えた県庁所在地は、東京・津・大津・和歌山・松江・大阪・広島・高松・徳島・高知・福岡・大分・鹿児島がある(p64)旧幕僚で県庁所在地になったのは、東京・横浜・新潟・大津・甲府・京都・大阪・奈良・神戸・長崎、多いのは城下町である(p172)

・日本は300以上の独立国からなっていたというが、藩と呼ばれる大名領(国)は全体の75%、残りは幕府の直轄領(400万石)旗本領、寺社領、公家領であった、重要都市の多くがそこに含まれていた(p72)幕領は支配はゆるやか、年貢の取り立ても鷹揚、領民には幕府の直轄支配が好まれ、預地がその次で、大名領への組入は嫌がられた(p74)

・伏見城は関ヶ原の戦いの前哨戦で全焼、それを家康が再建し、第三次伏見城とした。将軍宣下もここで行われ、1607年に家康が駿府に引っ越すまでの住まいであった、伏見は10年以上、実質的な日本の首都であった(p99)徳川慶喜も常に京都におり、名実ともに首都であった(p126)正式な東京への遷都宣言はされていない(p127)(p148)

・昭和22年に東京都は23区に整理された現在に至る、区長が昭和50年(1975)から公選となったが、都が市役所としての機能の大きな部分を担っている(p130)

・桃山の由来は、伏見城廃城ののちに、城跡に桃の木が植えられて桃山と呼ばれるようになったから(p147)

・明治維新の時に、旧幕府領については「府」「県」に再編成して直轄領にしたが、明治2年の版籍奉還によって、大名領についても大名を知藩事として任命し、引き続き統治させることにした、この時公式の名称として初めて「藩」が発生した、明治4年に藩をすべて県と改め、政府が任命した県令に統治させたのが廃藩置県である。明治2年から「府・県・藩」の3種類の行政区域があったものを、府と県だけに整理したのが廃藩置県である、藩はわずか2年しかなかった制度である(p159)

・兵庫運用所という税関があり、横浜と同様(神奈川に奉行所あり)に幕府の役所の名前が、神戸でなく兵庫であったことが県名に引き継がれた(p170)

・普通は県庁所在地にしかない気象台があるのは、彦根・銚子・熊谷・下関である(p176)