suu3.jp 戻る

summary

最強兵器としての地政学 あなたも国際政治を予測できる!

最強兵器としての地政学 あなたも国際政治を予測できる!の写真

・地図は空間を、年表は時間を戦略的に思考するための最良の道具である。地政学とは、地理学x軍事学、である。地図を戦略的に見る見方である(p4、5)

・視点の転換というのは、地政学で使われる発想法の一つである、新しい視点から地図を見ると新しい事実が発見される(p21)

・日本近海は世界で最も航海の難しい海域である、黒潮と親潮という非常に速度の速い二大海流が日本を取り囲んでいる、台風以外に、四季により季節風も複雑に変化する、ここがイギリスとの違い(p30)

・イギリスはヨーロッパ文明の一部であるのに対して、日本は大陸国家のチャイナに対して、独自の文明圏を構成してきたことが異なる(p31)

・18世紀以降のイギリスは、まず海軍力の優位により、広大な植民地帝国を築き、膨大な海外からの原材料の供給により、産業革命が起きて、世界の工場になる。綿花をアメリカ南部、インドで生産させ、綿製品をつくり世界に輸出した(p39)

・欧州大陸を単一国家に支配させないというのがイギリス外交の原則、ナポレオンのフランスと戦い、第一次・二次大戦ではドイツと戦い、冷戦ではソ連と対立した。イギリスは二次大戦でソ連と同盟国となり、結果的に日本と敵対したことで、東アジアでは日本により植民地を解放させられてしまった(p42)

・歴史に「もし」はあり得ないと言ってはダメ、多くの「もし」を発して、仮説を検証しつつ、大いに歴史から学ぶべき(p53)

・親日派のハル国務長官は、初期においては、満州は仕方ないが、チャイナからは撤退しろと要求した。一方で反日派のモーゲンソー財務長官は両方からの撤退を要求し、最終的にはこれがルーズベルト政権の政策となった(p55)

・陸軍は対米戦に関してはよく健闘したが、海軍に決定的な戦略的欠陥があったため日本は惨敗した、太平洋に消えた勝機に詳しい、シーパワーである日本に、兵站を最重要視する思想がなかった(p56)

・目標達成に必要な3つのCとは、コマンド(命令)・コントロール(統制)・コミュニケーション(情報伝達)、本社は司令部というのも軍事用語(p58)

・鄭和が色目人(トルコ系イスラム教徒)で宦官であったため、彼の業績(マゼランよりも100年も前に世界一周)は記録さえ散逸した。中国人が大陸の民でしかないという民族性を証明している(p61)

・アングル人は、ドイツのホルシュタイン州に住んでいたが、5-6世紀にグレートブリテン島へ移民した、サクソン人はドイツのエルベ川に住んでいたが彼らも同じ場所へ移民して、一体化した。やがてノルマン人に征服されるが、彼らはフランス語を話したので、今の英語はこの2つの言語が融合した。Beefはフランス語を語源、OxやCowはアングロサクソンを基礎とする(p79)

・ノルマン王朝が攻めてきたとき、イングランドにおいて降伏しない場所がロンドン城(今のシティ)であった、そしてノルマン王朝にロンドンの自治を認めさせ、自分たちの城以外は、ノルマン王朝の統治権を承認した。だからいまだにエリザベス女王がロンドン・シティに入るときには、市長の許可が必要。大戦後はシティはタックスヘイブンとなった(p80)

・フランスのブルターニュ地方が「小ブリテン」、本島が「大ブリテン」という(p81)

・米国とキューバが国交を正常化するとは、キューバが裏のオフショア金融センターの役割を果たせなくなることで、非常に意味がある(p109)

・南北戦争では、北部は保護主義(自国工業の発展、奴隷不要)を、南部は自由貿易(工業はイギリスに任す、綿花を輸出、そのためには奴隷必要)を主張して国が割れてしまったから起きた、新興工業地帯の北部と、綿花を中心とする農業地帯の南部の経済権益をめぐる争いであった(p110)

・モスクワから見えるバルト海、黒海に対して、ロシアに接している国は、フィンランド・エストニア・ラトビア・リトアニア・ベルラーシ・ウクライナである。(p118)

・チェチェン紛争のときに、上陸用輸送艦艇(強襲揚陸艦)がなかったので苦労した、黒海側から兵隊を上陸させられれば制圧がスムーズであった(p123)

・黄海と渤海を隔てる2つの半島、遼東半島と山東半島は、海からの脅威に対する北京の生命線である(p132)

・地政学的には、1)アメリカと仲良く、2)東南アジア諸国との連携、3)内陸アジア(モンゴル、チベット、ウイグル)との連携が大切(p196)