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summary

秀吉再考

秀吉再考の写真

・信長は天才だというイメージがあったが、 最近の研究では、 信長は 革命的な人ではなくて、むしろ「 復古の人」だと言われている。信長は中世人であって、 近世人ではない、 つまり 無から有を生み出す天才ではなく、むしろ 努力と工夫の人であった。 凡人でもできる努力を積み重ねたかゆえに、 非凡な成果を出した(p9)

・ポルトガル人も スペイン人も日本を植民地にできなかった理由は、1)日本人が賢いから、 危機意識が強かった、2)経済大国 かつ 資源大国であった、農業大国でもあった、3) 軍事力が強かった(p23)

・ 秀吉の「 墨俣一夜城」のエピソードは有名であるが、城を早く気づくのも重要であるが、 作っている時に相手から攻められないように現地の土豪を調略する方が大事(間接侵略)であった (p29)

・秀吉は戦国時代だから 通用した、実力がなければ 凋落するが 家柄がなければ人は動かない、 戦国時代とは 地方でこそ成り上がれても 誰も 足利将軍家にとって代われない 室町の権威主義を引きずっている時代である(p38)

・号令は目的も裁量も関係ない、 ただ言われた通り やるだけで、 発令者に責任がある。 発令する側が事細かに指示しなければならない。 命令は、 発令者が 目的を示し 手段を限定する、受令者は与えられた条件で裁量がある。 訓令は 発令者は目的を示すだけ、受令者に裁量(権限)が付与される。戦国の三英傑 では、 信長が号令、 秀吉が 命令、 家康が 訓令の人と言われる(p47)

・信長は 失敗しないから凄いのではなく、失敗した後の判断と行動がすごい(p56)

・比叡山延暦寺の信長による焼き討ちは、現代の国際法に照らしたら合法である。 なぜなら比叡山延暦寺はお寺だから 中立地地帯 のはずである、中立とは 片一方の公選者に加担してはいけない義務がある、中立 義務のある 延暦寺は公選者の双方を延暦寺に入れてはいけない。ところが延暦寺は 朝倉・ 浅井の兵を駐屯 させた、信長は延暦寺に対して3度にわたり撤兵勧告をし、非戦闘員を逃せとまで警告しているが拒否している(p62)

・ 兵糧攻めは攻める側にとっても ノーリスクの戦いではない、 包囲網のどこか 1点でも破れたら全てが崩壊する(p115)

・ 織田信長 も 豊臣秀吉も実力で天下を取ったが 、実力がなくなると 滅びた。 徳川は続いたが戦乱が続いていればどうなったかわからない。日本の特徴は、一番強い人が一番偉い人にならない。 強い人の力が衰えると争いが起きて一番強い人が決まると、一番偉い人(天皇)に認められて世の中が安定する(p161)

・ 秀吉も 小田原攻めの後であれば「 豊臣幕府」 もあり得たかもしれないが、 その時にはすでにはるか上の地位にいたので 将軍になる必要がなかった。征夷大将軍になった時点で、 源頼朝・ 足利尊氏も 関東を制圧している、後の 徳川家康 もそうである(p165)

・天下人の定義を「京都を支配した 権力者」と定義すると、 細川・ 大内・ 三好・ 柳本・ 松永・ 小田・ 羽柴 が、小牧・長久手の戦い 以前にいる(p172)

・海賊が人類の敵になったのは1856年 パリ条約からである、 この条約は 英仏がオスマントルコを助けて ロシアと戦ったクリミア戦争の和平条約であり、 この時 初めて 海賊が禁止された、その後にテロリストも同じ扱いにされた(p183)

・ 日本では豊臣秀吉の時代に「惣無事例」「海賊停止令」「 刀狩り」が天皇の名前で行われている(p185)

・側室は正式な妻で相応の財産権があり、 愛人ではない。 お手つきは、一夜妻(愛人ですらない)(p191)

・ヨーロッパの国々は 連合軍で戦ってもオスマントルコには勝てなくて、 (スペインが勝ったとされる レパントの戦い(1571) の後も 地中海の制海権 は、オスマントルコが握って いる。したがって スペインはアメリカ大陸、 ポルトガルはアフリカ大陸へ向かう、 弱そうな国を征服しながら日本にやってきた(p220)

・信長は比叡山焼き討ち などで 宗教弾圧をするように思われているが、権力に従い 他の宗教に迷惑をかけない宗派は 保護している。寺は焼きまくったが、神社は1つも焼いていない(p223)