本書で堀栄三が繰り返し訴えるのは、日本軍敗北の根本原因の一つが、単なる兵力や物量の不足ではなく、情報を軽視し、情報を組織的に集め、分析し、作戦に反映する仕組みを持たなかったことにあるという点である。情報は本来、作戦に先行して整備されていなければならない。しかし実際には、開戦から2年が経ってようやく情報部門が組織として一本立ちするような状態であり、堀は「これでは戦争は負けるに決まっている」と感じさせるほど深刻な遅れだったと述べる(p89)。
その象徴の一つが、米国本土に対する情報網の欠落である。戦前には陸海軍武官が日系人などを通じた情報網を準備していたが、戦時中には十分に機能しなかった。もしこれが動いていれば、米国内の船舶の動き、産業動向、兵員動員、航空機生産、さらには原爆開発の兆候までも把握できた可能性があったと堀はみる。米本土の情報が欠落したことを、敗戦の大きな要因、さらに「最大の原因」とまで位置づけている(p97)。
日本軍内部の情報共有にも重大な問題があった。陸軍と海軍は互いに十分な連絡を取らず、それぞれ別々に戦果を発表していた。国民から見れば「大本営」は一つであったが、内部には事実上二つの大本営が存在し、陸軍は海軍の戦果発表を鵜呑みにするほかなかった。堀は、これを日露戦争以来変わらない日本最高統帥部の組織的欠陥としている(p101)。米軍が戦果確認機を出して写真による確認を徹底していたのに対し、日本軍には同様の仕組みがなく、正確な戦果把握ができなかったことも、国運を左右するほど重大だったと指摘する(p189)。
また、日本軍は過去の成功体験から抜け出せなかった。満州事変以降、比較的近代化の遅れた軍隊を相手に精神力や突撃で突破した経験が、近代化された米軍にも通用すると錯覚した。だが、迫撃砲の集中射撃、鉄条網、照明弾、自動小銃などを備えた米軍には、従来の白兵突撃は通用しなかった(p109、p136)。日本軍の精神第一主義は、圧倒的な「鉄量」を持つ米軍の前では力を失ったのである。
情報不足は、戦場そのものの理解にも表れた。ニューギニアでは、日本側が陸地として見ていた戦場を、米軍は事前の地誌研究から、実際には山岳・河川・密林によって分断された「海のような空間」と捉えていた。米軍は航空力こそがこの地域を支配する主力だと理解していたのに対し、日本軍は歩兵中心の発想から抜けられなかった。その結果、日本軍の本当の敵は米豪軍だけでなく、ジャングル、山脈、氾濫する川、補給不足、飢餓、寒気、疾病そのものとなった(p114)。
同様に、米軍のいわゆる「飛び石作戦」も、単に島を飛び越えて進む作戦ではなく、航空基地を確保しながら制空圏を前進させる戦略であった。ところが日本軍は飛行場防衛を地上軍の任務として考え、空域を支配するという発想が弱かった。その結果、日本軍が築いた飛行場が、結果として米軍に利用される形になった(p116)。サイパン防衛でも、地形、資材、そして何より準備のための「時間」が不足していた。防御に必要な三条件がほぼ欠けた状態で守備隊が送り込まれ、絶対国防圏は崩壊した(p130、p137)。
堀はまた、戦略と戦術の違いを強調する。太平洋やニューギニアでの兵士たちの勇戦奮闘や犠牲を称えながらも、戦略の失敗を戦術や戦闘でひっくり返すことはできないと述べる。必要だったのは、太平洋戦争の本質を情報面から見抜き、もっと早い段階で「軍の主兵は航空なり」と転換し、「鉄量には鉄量をもってする」という戦略を採ることであった(p145)。
さらに日米の差は、補充制度や機械化にも表れていた。日本軍の「補充」は消耗分を第一線へ送り込むことだったが、米軍は部隊そのものを交代させ、後方で休養と再編成を行って再び完全な部隊として戦場に戻す仕組みを持っていた(p201)。暗号では手作業と機械、飛行場建設ではシャベルとブルドーザーという差があり、こうした機械化の遅れが人員と労力を浪費し、第一線の戦力まで減殺していた(p245)。
本書から見えてくるのは、日本軍の敗北が単なる「物量差」では説明できないということである。問題は、相手を正確に知ること、戦場の特性を読むこと、得た情報を組織内で共有し、戦略へ結びつけること、そして現実に合わせて自らの戦い方を変えることができなかったことにあった。堀のいう「情報なき国家の悲劇」とは、情報そのものがなかったこと以上に、情報を軽視し、事実よりも希望や精神論を優先してしまった国家と組織の悲劇だったのである。
summary
大本営参謀の情報戦記