キリシタン女性 関ヶ原をゆるがす/細川ガラシャの悲劇
・ガラシャは侍女の清原マリアを教会に送って洗礼を受けさせ、マリアからさらに洗礼を受けることで、キリスト教徒となった(p41)
・昔の日本では儒教の教義が重んじられ、女性には「三従:子供時には父親、結婚したら夫、歳をとったら長男の言う事に従う」を説いていた(p42)
・関ヶ原の戦いにおいて、細川忠興隊5000は、先陣争いをして石田三成隊へ突撃した(p55)
・当時は夫婦別姓であり、「明智玉子」としてガラシャは人々から認識されていた(p56)
上杉鷹山 ふたたびの財政改革
・上杉家は謙信以来の領地から約17分の1(250→15万石:米沢藩)に激減していたが、藩士数は削減されなかった(p73)
・倹約を求められる立場からは、痛みを何年我慢したら、どれだけの幸福が得られるかを示す必要がある(p93)
・1822年に鷹山が72歳で亡くなった翌年(2度目の財政改革から33年目)には借金を殆ど返し終わった(p101)
不平等条約を改正せよ/外務大臣・陸奥宗光の決断
・陸奥行った条約改正は、即時締結を行うが、発効までに5年間の期間を置いた(p138)
・不平等条約解消にむけてイギリスと交渉している時に、イギリスは函館を貿易港として使用する(租借)することを求めた(p144)
ぼく一生の不覚/三国同盟締結・松岡洋右の誤算
・松岡自身は、日本は国際連盟に残るべきと考えていたが、「ノーと言えた日本」を演じた松岡は日本へ帰国したときに国民の大歓声を受けた(p169)
・松岡の壮大な構想は、敵対してきたソ連を日独伊三国同盟に取り込もうとしたこと(p182)
走れ!AA型/国産自動車誕生物語
・G型自動織機を開発した2年後の1926年(大正15年)、豊田佐吉・喜一郎は、豊田自動織機製作所を設立、年商130万円のトップ企業となった(p214)
・石川島造船所が作成した自動車は、ボディ鋼板用にイギリスから輸入したため、輸入車の2倍の価格であった(p219)
・昭和8年(1933)に、喜一郎は自動織機製作所の中に自動車部を設立した(p223)
・日産が海外技術を積極的に輸入するのに対して、トヨタは自前の技術の確立(シボレーを解体して勉強含)を目指した(p226)
・日産は自動車業界から撤退する会社から中古のプレス機、金型を生産ラインとして購入することで、3000cc車の大量生産を可能にする体制を整えた(p237)
・トヨタは昭和11年4月に、1ヶ月200台の生産能力で排気量3400ccの国産自動車を量産し始めた(p239)