・戦国時代においてポルトガル人が大勢いたのは、本国が滅亡したため(1580~1640年までスペインに併呑)日本へ亡命したから(p16)
・徳川期に入ってからの最初の銀山奉行である大久保長安は、甲州武田家の金山開発を担当した、石見銀山には慶長6年(1601)から関わった(p38)
・ペルシア仁の宰相アーマッドは、人類史上初めて本格的に紙幣を発行した、銀本位制で兌換制度があったが、国家財政の赤字補填のために発行しすぎてインフレ発生となった(p44)
・石見で得られたノウハウは、佐渡金銀山、伊豆金銀山、生野銀山に応用された、佐渡には石見を姓とする人が多い(p45)
・日本では、石見銀山の銀が輸出に回った関係で銀の量が多くなく、銀相場が相対的に高かった(金1:銀5)、欧米では中南米で大量の銀が採掘されていたので、金1:銀15であった(p47)
・600年も前に、海上自衛隊の護衛艦と同じ総トン数(3000トン)が実在した、鄭和はこれら巨船を含めた62隻の大艦隊であった(p53)
・朝貢貿易とは、周辺民族が形ばかりの貢物を持参すると、それを何十倍も上回る下賜品が授けられ、一種の経済援助である、周辺国は中国の年号を用いる必要がある、日本も5世紀辺りまでは中国王朝の冊封体制にあった(p58)
・世界一周をしたマゼラン本人は死んだが、5隻あった船団は、1522年9月にビクトリア号1隻(19人)でスペインへ帰港した、1隻分の香料を売り払っただけで遠征の総費用を賄ってあまりある財産が残された(p92)
・マゼランが地球が丸いことを証明してから、トルデシリャス条約による分界線のみで十分でなくなった、太平洋上の分界線としてサラゴサ条約が締結(1529年)された、それによると札幌はポルトガル領、根室はスペイン領となる(p93)
・1580年までに30万とも言われる数のキリスト教徒がいた、17世紀には150万人以上、人口比(10分の1)で考えてキリスト教徒の信者は史上最高(p103、161)
・スペインによるポルトガル併合を知った、マラッカやマカオ在住のポルトガル人は、かなりの人数が日本を目指した(p106)
・アルゼンチンは、銀という意味、銀の元素記号(Ag)はここから取ったもの、スペイン語では銀はプラタ、銀と似ているのでプラチナと名付けられた(p139)
・足利義満は、中国の半属国をという形をとる冊封貿易(日本国王源道義)をして、聖徳太子以来の対等外交を朝貢貿易に変えた(p169)
・秀吉が公布した陣中御触れ書きは、壱岐、対馬、朝鮮に対するものは、ほぼ同文である、四国征伐、九州征伐の延長線上に朝鮮征伐を考えていた(p189)
2010/08/31作成