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summary

謎解き 関ヶ原合戦 戦国最大の戦い、20の謎 (角川新書)

謎解き 関ヶ原合戦 戦国最大の戦い、20の謎 (角川新書)の写真

・東西両軍に分かれた両者は、武断派と吏僚派、尾張派と近江派等で分類されることはあるが、結局は、朝鮮出兵における前線と後方、統制される側とする側という立場の違いに起因する(p19)

・五大老の中の、家康と利家は別格、財務は五奉行が彼等2人の了承を得てできるように指示されている(p31)

・宇喜多秀家は、一門のうち軍団の先手衆をつとめる万石以上の旗頭6人のうち、じつに4人が出奔し、これにその他有力与力40人も同調して大混乱に陥った(p55)

・「内府ちがひの条々」の発給主体は三奉行で、それを二大老(毛利、宇喜多)が後押ししているので、その陣容は家康の予想以上に盛大であった(p107)

・秀忠の遅参は、使者の予想外の遅着(利根川大増水による川止め)が決定的要因である(p123)

・上杉景勝にとっての最大の関心事は、伊達政宗と最上義光で、両社をいかに屈服させるかが関東出陣の前提条件(p149)

・岐阜城がわずか2日で落城したのは、織田秀信が採用した城外出陣という戦術の稚拙さに尽きる(p170)

・織田勢の本陣4000人に対して、東軍は総勢3.5万人のうち、池田・浅野・堀尾等の1.8万人が攻めた(p172)

・西軍の事実上の総大将だった三成が信頼し、かつ掌握できたのは、大垣城在陣の諸将と、大谷吉継のみ(p200)