・唐が怖くなくなった日本の貴族は、湿度の高い日本で、ぴちぴちの乗馬服を着て机と椅子の生活はしんどい、畳に座ってリラックスしていった。これを国風文化と呼ぶ(p23)
・奈良時代に女帝が多く出たのは、周辺世界(武則天、新羅の二人の女王)にロールモデルがあったから(p26)
・倭寇の実体は、中国や韓半島、日本の海に生きる人達の連合共和国であった可能性もある(p28)
・16世紀初めに、ドイツでルターの宗教改革が起こり、ローマ教会は西欧で大量の信者を失ったので、その穴埋めは新大陸やアジアで行うしか道がなくなった(p29)
・米国は当時、英国と対中国貿易で争っていたが、大西洋航路を使っている限り、アメリカは永遠に大英帝国に勝てない、大西洋を横断する船賃の分、余計にかかるので(p31)
・仏教とは、ブッダの教えだけではなく、お寺をつくる、仏像をつくる等の、一つの最新の技術体系である(p35)
・歴史が後世に残るためには、文字を作るだけではなく、何を筆写材料にしたかが大きく影響する。粘土板、金属とか石に書いたものは残るが、草の茎からつくったパピルス、動物の皮をなめした羊皮紙は、あまり残らない(p39)
・商という国は、中国が実在を確認しえる最古の王朝、BC17-11世紀まで30代、600年間存続した。後半の270年間は河南省安陽市北西の殷墟という地に都を定めていたので、殷と呼ばれることもある(p41)
・貴族制は所領安堵なので忠誠心は高いが賢い子が生まれるとは限らない、官僚制は一代限りだが忠誠心がない(p55)
・科挙という全国統一テストができた理由は、紙と印刷、試験をやるためには参考書がいる。10世紀の中国ではすでに、紙と印刷技術が発達して参考書が行き渡っていた(p56)
・植物を支配するのが農耕、動物を支配するのが牧畜、金属を支配するのが冶金、その次に世界をつくっているルールを支配したいと考え始め、これが神の誕生に繋がった(p63)
・1日は太陽、1年も太陽だが、その間は太陽の運行だけでは区分するのが難しいので、月の満ち欠けをプラスしたのが太陽太陰暦である(p69)
・輪廻転生が生じると考えたら、そこから生まれる思想は、この世は全部仮の姿であるというもの(p74)
・イエスの運動(キリスト教)は、ユダヤ教の革新運動としてスタートしただろう(p81)
・ユダヤ人は当時、シナゴーグ(礼拝堂)以外ではギリシア語(コイネー)で話をした、イエスの言葉はアラム語だったが、パウロはコイネーで話したので、キリスト教はユダヤ人を相手にしたユダヤ教の刷新運動という立場から、どの民族にも開かれた世界宗教になっていった(p82)
・太陽神であるミトラスは、冬至に生まれて夏至に最強になり冬至に死ぬので、冬至を「再び生まれる日」としてローマでは信者が盛大にお祝いをした。豊穣のシンボルである牡牛を殺して、その血をミトラスにささげて礼拝、そして肉をたべてワイン(ミトラスの牡牛の血の象徴)を飲んだ。キリスト教は、イエスの降臨を祝って、パンと葡萄酒のミサをして、4世紀頃にクリスマスが12月25日になった(p89)
・中華思想の本来の意味は、周囲の人々が勝手に、中華って凄い、中国って凄いと思い込んだことが始まり(p98)
・宦官は遊牧民族の伝統、遊牧民が家畜をコントロールするとき、雄の数が多すぎたり、あるいは体の弱い雄の子供を生ませても儲からないので去勢という方法と取ったため(p108)
・土用とは、立夏・立秋・立冬・立春の前の18日間の総称、現在の日本では立夏の前の18日間だけが土用と呼ばれて、江戸時代に鰻を食べる習慣ができた(p125)
・1054年に、コンスタンティノープルとローマ教会がお互いに相手を破門(大分裂)した、コンスタンティノープル側は、正しい教会として「東方正教会」、ローマ側は、普遍的存在として「カトリック教会」と自称した(p128)
・キリスト教の神様は非常に嫉妬深いので、アテネの古代オリンピックは中止、ゼウスを崇める祭典であったから、更にはアテネにあった欧州最大の大学を閉鎖した(p137)
・サンピエトロ寺院再建の費用を捻出するために、贖宥状を発売したが、これを批判したルターによる宗教改革が起こり、北欧やドイツはプロテスタントの国になる、つまり教皇権の及ばぬ土地になった(p157)
・イングランドもローマ教会から離脱して英国国教会をつくったが、本音はキャピタルフライトを避けたい(お金をローマに持っていかれたくない)であろう、そしてローマ教会は反宗教改革の旗手であったイエズス会などを中心に、アメリカ・アジアで布教しようとした(p158)
・フランク王国のカロリング朝において一番豊かだったのは、ベルギー・ネーデルランド、大陸と北海のスカンジナビア・イングランドとの交易の中心地だったから(p174)
・ルドルフがドイツ王になったのが1273年、それから73年過ぎた1346年にルクセンブルク家のカール4世がプラハを首都にしてドイツ王に選ばれた、この家が現在のルクセンブルク大公国の先祖に当たる(p184)
・牛を意味するビーフはフランス語起源、オックスとかカウはアングロ・サクソン語起源、支配階級のノルマン人にとっては食べるもの、彼らの支配下にあったアングロ・サクソンにとっては世話をするもの(p193)
・フィリップ4世はテンプル騎士団を捕らえて財産を没収した、一斉逮捕の日が1307.10.13金曜日だったので、縁起が悪いという伝承が生まれた(p196)
・百年戦争の終結によって、イングランドの王家はようやくフランス領土の呪縛から離れて自分の道を歩き始める、それまでは殆ど一体の国である(p196)
・生態系は横(東西)には広がりやすいが、縦(南北)には広がりにくい性質がある、それが交通が便利になることでその領域が広がる(p208)
・氷河期があった関係で、中国は豊かでヨーロッパは貧しかった。長江の南まで氷河進出したが、雲南やインドネシアなどは助かった、欧州は地中海北側はすべて氷の下になって動植物は死に絶えた(p212)
・東から西への道は3つあった、草原の道(モンゴル、ロシア、ハンガリー大平原)で馬で駆けていく、次がシルクロード(砂漠を横切る)、最後が海の道、これが最も交易量が多かった(p213)
・ロンドンがアムステルダムに代わって欧州と新大陸を結ぶ中心になったのは、ロンドンばかりいるウィリアム王に、商人たちが移住を始めたから(p222)
・大都は現在の北京でクビライがつくった、キンザイとは、南宋の都、杭州の皇帝の行在所のことで、この行在がキンザイ(北京)と訛った(p226)
・万里の長城をつくるために、鄭和艦隊を全廃(最後の航海:1433年頃)した。こうして2.7万人の大海上勢力がインド洋から姿を消して権力の空白が生じた。海賊は鄭和艦隊の20年間でほぼ根絶された。だから新大陸が発見されるようになった(p239)
・本格的に鉄砲が登場する16世紀まで、2000年に亘って遊牧民の騎馬軍団は地上最強であった(p247)
・1514年のチャルデラーンの戦いで、オスマンの歩兵(+鉄砲)がそれまで無敵だった騎馬軍団を破った、日本でも1575年に長篠の戦いで騎馬軍団が負けた(p265)
・17世紀後半から香辛料貿易を独占したのはネーデルランド、主産地はインド、東インド諸島、強力な海軍のバックアップもあり、インドネシア共和国全体を支配していた、最大の産地はモルッカ諸島(p300)
・イングランドは香辛料にかわる有力な交易商品を模索しながらインド経営に重点を移した、当時は、モルッカ諸島には香辛料、中国には絹とお茶、陶磁器、インドには綿織物があった、英国はインドの綿織物に着目した(p302)
・インドはもともと綿織物を輸出していたのに、英国の命令で、綿花を輸出して綿織物を買うようになった。そしてインドの富は英国へ流出していくことになった(p304)