・第一次世界大戦の講和会議には、敗戦国(独・墺・洪(ハンガリー)・勃(ブルガリア)・土(オスマン))は呼ばれていない(p17)
・国際連盟は、預けられた地を適当な国(旧宗主国)に統治を委任して、野蛮人たちが自立できるように導くということから、植民地から、委託統治領と名を変えた(p25)
・国際連盟は、英・仏・伊・日の常任理事国と、耳(ベルギー)・希(ギリシア)・西(スペイン)・伯(ブラジル)の非常任理事国で発足した(p39)
・いくつかの国の代表が集まり、一定条件下で合意されると「採択」、署名すると「調印」、国民の信任を得ると「批准」、条約が動き出すと「発効」、締結とはこの流れを曖昧に表現している(p42)
・敗戦国の代表は、パリではなく、別の場所(ドイツ:ヴェルサイユ、オーストリア:サンジェルマン、ハンガリー:トリアノン等)に呼ばれた(p46)
・オーストリア帝国は、国土の88%、人口の85%を失ったばかりか、経済基盤・地下資源の豊かな地域を悉く失った。(p64)
・リトアニアは、海を持っていなかったので、メーメルを強引にドイツから剥ぎ取った。ポーランドもポーランド回廊と、ダンツィヒを得た(p67)
・イタリア国王は、古代ローマに倣って、あくまでも「1ケ年の時限権力」として、独裁権(得票率25%を得た最大政党が議会の3分の2を得る)を認めた(p91)
・ムッソリーニは教皇と「ラテラン条約」を結んだ、イタリア政府はバチカンを独立国家として認める代わりに、教皇は政治に介入しない(p101)
・ドイツへの賠償金額は、1320億金マルク(変換返済額:60億、期間:30年、金換算:47310トン)、フランス:52%、イギリス:22%、当時の賠償金額は50億金マルク程、大戦だと考慮しても、120-150億程度だろう(p144、147)
・ドイツはソ連と、ラパッロ条約を1922年に締結、国交自由化(初のソ連承認)・相互に賠償請求権放棄・軍事訓練地の提供(p150)
・ドイツ政府は、ルールの石炭・鉄鋼の生産が停まっているのに、「ストで働かない労働者」にも給料を払い続けた。社会が価値を生んでいないのに紙幣だけを増産したので、紙幣価値が下がり物価が上昇する(p164)
・市民にとって地獄だった超インフレは、農民にとっては追い風、借金はチャラ、農作物が重要な価値を持ったから(p170)
・北ドイツ(ルター派)のプロシアに、南ドイツ(カトリック)が併合されたと考えていた人もいた(p171)
・1923年11月、新札レンテンマルクを発行し、1兆分の1に通貨を切り下げた(p192)
・大恐慌により、アメリカがドイツへの資本投資を1年間凍結する、ことにより、ヤング案(アメリカのドイツへの潤沢な融資と資本投下によりドイツは賠償金を払う)の前提が崩れた、アメリカも承諾した(p239)
・4回目の賠償問題を討議する会議(ローザンヌ、1932)にて、1320億マルク→(支払い済の45億+30億マルク)、3年間の支払い猶予、対米戦債の相殺が条件であった。アメリカが批准しなかったので、発効できず。ヒトラーが一方的に破棄してしまい、賠償金は支払わず(p246)
・全権委任法は全5条、4年間の時限立法であったが、政府立法は憲法に優越する(2条)という条項があった(p282)