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summary

「戦国大名」失敗の研究 政治力の差が明暗を分けた (PHP文庫)

「戦国大名」失敗の研究 政治力の差が明暗を分けた (PHP文庫)の写真

・カリスマには4つの類型あり、1)偉い人の子孫、名家の出、という「血のカリスマ」、2)地位によって得られるカリスマ、3)英雄のカリスマ、4)異能のカリスマ(p21)

・偉大な父が死んだときに息子のとるべき行動は、取引をする、そしてじっと様子を見ていること(p25)

・武田勝頼は、凡将ではなく、まさしく信玄の血を継いだ勇敢な息子であった(p27)

・権力を行使される側が、権力を認めなかったら、権力は有名無実化する(p29)

・本当に強い組織とは、部下が上司の権力を認め、この上司のためなら無理をしても頑張ろう、と思わせる(p30)

・武田軍が、織田・徳川軍と比較して十分な鉄砲を確保できなかった理由は、決定的には経済力の差である(p33)

・武田勝頼は、上杉景勝を指示したこと(所領の寄贈を承認した)は、景虎の兄である北条氏政を敵にすることで同盟を失った、そして北条は徳川と同盟した(p42、47)

・長篠の戦いの敗戦後、勝頼は側近を重用して、生き残った宿老を遠ざけたので、やがて徳川に内通するものがあらわれた(p55)

・実際に武田家の滅亡のきっかけになったのは、一門衆の木曽義冒であり、穴山信君である(p61)

・国連の安全保障理事会が、米国ロシアの大国によって事実上握られているのと同様、足利幕府も有力大名(細川、山名などの21家)によって支えられていた(p74)

・元首相の田中氏はロッキード事件の裁判で無罪を勝ち取り政権の座に帰ることを夢見ていたので、総裁は田中派以外から選んでいた(p119)

・竹下氏は創政会をつくり勢力を拡大したが、ナンバーツーの二階堂氏はこれに反発した(p119)

・秀吉が城攻めをできたのは、秀吉の領国経営によるものと、城攻め(公共事業)で儲かる商人たちを利用した(p121)

・ほとんどの織田の重臣は信長の死で背景を失うが、自分で人脈をつくってきた者との差がでてきた(p131)

・家康は、小早川秀秋以外にも諸大名の面倒を見ている、豊臣秀次の側室に娘を出していた最上氏、秀次に借金していた細川氏、秀次と親しかった伊達氏など(p165)

・外の環境がどのようになっていても、内部の権力闘争はすべてに優先される傾向がある(p192)

・A国がB国を支配しようとしたら、まずA国に対して、「悪いのはA政府である、A国民は悪くない」と宣伝する。同様に、豊臣家は護らねばならない、悪いのは一部の三成一派で、豊臣家は悪くない、と家康は宣伝した(p195)

・リーダーは、自分がどの方向に行くのか示さなければならない、リーダがスタッフの行動を尊重し採用するのは、リーダーが決めた方向と同じことが条件(p201)

・延暦寺横川中堂、醍醐寺三宝院、相国寺法堂、北野天満宮、大阪市天王寺等、豊臣家が出資した多くの寺社は、ほぼ例外なく国宝や重文に指定されている(p217)

・聚楽第での「金配り」は、天正17年(1589)に金銀を36.5万両配った、これは1両=30万円とすると、1000億円(p217)

・天正16年(1588)の秀吉の所領は、222万石程度であるが、多くの銀山を支配、莫大な運上を得ていた。関ヶ原合戦後も、3か国65万石以外にも各大名家の中に持っていた蔵入地からの収益があった(p218)

・豊臣秀吉は、すでに聞いた情報でも初めて聞くふりをしていた、それは情報を運んでくる者に優越感を与え、再び自分のところに情報を持ってくることを期待した(p286)

・政治力が「理論や理想」であるよりは、「感情や現世利益」により影響を受けるのは、政治が人間の営みそのものだからである(p297)

2015年4月5日
2017年9月10日(再読)