・アレクサンドロスは曖昧な遺言(最も強き者が我が後を継げ)を残したので、帝国は3つ(アンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプト)に分裂した(P44)
・ローマは、法を作る平民と、法を運用する貴族が対等の立場になったことで両者の対立がますます深まった(P46)
・オクタヴィアヌスは独裁者という肩書きは使わずに、あくまで「第一の市民:プリンケプス」と名乗って市民のリーダーという立場を貫いた、終生独裁官を名乗って暗殺されたカエサルを見ていたから、しかし皇帝に変わらず、ここからのローマがローマ帝国となる(P50)
・ローマ教皇レオ3世は、カールに300年以上も前に滅びた西ローマ帝国の冠を授け(カールの戴冠)、フランク王国を新しい西ローマ帝国と見立ててその復活を宣言(800年)し、キリスト教勢力の拡大を図った、カールの孫たちは、ヴェルダン条約・メルセン条約により、東フランク王国(ドイツ)・西フランク王国(フランス)・イタリアに分けた(P59)
・東フランク王国のオットー1世に対してローマ教皇が接近し、カール大帝と同じように西ローマ皇帝の位と冠が与えれれ、キリスト教と東フランク王国は関係を深めた。のちに東フランク王国は、神聖ローマ帝国と言われる(P59)
・ローマ教会(西欧)は、キリスト教では本来「禁じ手」だった「聖像」を使った布教を行う、これに対してビザンツ皇帝(コンスタンティノープル教会:東欧)は待ったをかけ、両者の対立は深まった。そして、ローマ教会はカトリック(みんなのキリスト教)、コンスタンティノープル教会はギリシア正教(正しいキリスト教)と名乗るようになった(P65)
・フェニキア文字の1文字目は「アレフ」、二文字目は「ベートゥ」と読む、ギリシア文字では、アルファ・ベータである。アルファベットの語源は、AとBという意味(P89)
・メソポタミア、エジプト、シリア、パレスチナを統一したのが「アッシリア」であったが反乱が起きて、4つの国に別れた。エジプト、リディア(小アジア)、新バビロニア(メソポタミア)、メディア(イラン)である(P91)
・キリスト教はGod、ユダヤ教はヤハウェ、イスラム教はアッラーを唯一絶対神と信じているので、同じ神となる。もし異教の神を「異なる神」と認めてしまうと一神教の建前が崩れるから。つまりこの3宗教は兄弟である。その違いは、この神から言葉を授かった者が「モーゼ」だけか、「イエス」や「ムハンマド」を含めるかである(p96)
・4代目の正統カリフが暗殺されたのち、シリアのウマイヤ家のムアーウィアがウマイヤ朝を建国した、これが多数派のスンナ派であり、ムハンマドと血が繋がっている第4代カリフのアリーとその子孫のみを正統とするシーア派を形成した(p98)
・ウマイヤ朝をアッバース朝が打倒した、税制の不平等を解消したハラージュ(土地に対する税)は帝国内全員が払う必要があるが、ジズヤ(人にかかる税)は異教徒にかかる税とした、税金を払えば他宗教も信仰できる、アッバース朝は唐王朝との戦いに勝ち、捕虜にした唐の紙職人から長年秘密にしていた紙の作り方を得た(p100)
・トルコ人王朝のセルジューク朝の初代君主(トゥグリル=ベク)は、アッバース朝のカリフをシーア派のブワイフ朝から解放したので、そのお礼としてお案じスンナ派を信じる彼に「スルタン」の称号を与えた。宗教的指導者のカリフが統治権を与えたもので、天皇が征夷大将軍に統治権を与えたのと似ている(p104)
・中国の三蔵法師は、仏教の道徳「経蔵」、釈迦の教え「律蔵」、経典の解釈「論蔵」という3系統の仏典に精通したからついたあだ名である(p125)
・殷を討った武王によって成立した王朝が、周王朝であるが、興隆を誇った前半と弱体化した後半があるので、前者を「西周」後者を「東周」(周のこう京という首都が攻められて洛巴に遷都したから)とよぶ(p134)
・唐の中央政府には最高機関である三省と、行政機関の六部をおいた(三省六部)、皇帝の命令書(詔勅)を作成する中書省、その詔勅を審議し実行するかを決める門下省、実行に移す尚書省であり、門下省が最も権力が大きい。尚書省の下に六部(吏部、戸部、礼部、兵部、刑部、工部)刑法の律と行政法の令(律令制)により国を統治した(p155)
・モンゴル帝国は、オゴタイ=ハンのあたりから、中国の「元」、中央アジアの「チャガタイ=ハン」、西アジアの「イル=ハン」、ロシアの「キプチャク=ハン」に別れた、分裂ではなく分離であり元の皇帝をリーダーとするゆるいつながりは保持していた(p166)
・元は皇帝たちがチベット仏教に共振をしはじめ、豪華な寺院を建てて宗教的儀式にふけった。これが元の財政を悪化させた、紙幣を乱発し経済が大混乱を起こし、漢民族が「紅巾の乱」を起こし、明王朝を建てた(p167)
・明を滅ぼした女真族の二代目(ホンタイジ)は国号を「金」から「清」にする、金は漢民族にとって南宋時代に中国北部を奪われた屈辱的な国名であったので。また「女真族」の「女真」も「満州」に改めた。(p174)
・新大陸(南アメリカ)から莫大な銀がもたらされ、欧州の銀相場が大きく下落する「インフレ」がお起きた、また、ジャガイモ・トマト・唐辛子・タバコ・カカオ・トウモロコシが欧州各地に広がり、やがては世界中の必需品となった(p182)
・ドイツの次に宗教改革が起きたのはスイスで、カルヴァンによってなされた。ルターと々ようにカトリックを批判し、予定説を唱えた。また仕事を真面目にやった結果としてお金が溜まるのは救済される証であると主張した、これは商工業が盛んなイギリス、フランス西部を中心に広がった(p188)
・カトリックは宗教改革により、ルター派・カルヴァン派(プロテスタント)・イギリス国教会・カトリックに別れ、ギリシア正教は、ロシア正教(東方正教会)・セルビア正教などに別れた。カトリック、ギリシア正教以外にも、アリウス派・ネストリウス派がある(p189)
・ハプスブルク家のカルロス1世は、スペイン王に即位後、神聖ローマ皇帝にも選出されカール5世と呼ばれ、スペイン王と神聖ローマ皇帝(ドイツ王)を兼任した、カルロス1世の死後、ハプスブルク家は、神聖ローマ帝国系とスペイン系に別れた(p192)
・エリザベス1世は夫がいなく子供もいないので、彼女の代でテューダー朝は途絶えた、イギリス国王に招かれたのは、スコットランドのジェームズ1世であり、イングランド王も兼ねる形で即位し、ステュアート朝が成立した(p194)
・ジェームズ二世の子、アンの最大の業績は、イングランドとスコットランドを合同し、グレート=ブリテン王国を成立させたこと(p197)
・オランダはインドネシアのモルッカ諸島(香辛料)を狙い、ジャカルタに拠点を建設し、遅れて進出してきたイギリスを締め出してインドネシアの香料貿易を独占した(イギリス=オランダ戦争まで)従って、イギリスはインドに力を入れた(p207)
・産業革命とは、手工業から機械工業へ変化する一連の技術革新のこと、イギリスがいち早く産業革命を達成したのは、イギリス国内に元手(大西洋の三角貿易、アジア貿易など)と、人手(農業の合理化により失業した農民)が十分にあったから(p212)
・地中海への強引な進出は他の欧州国全体を敵に回すことになるとわかったロシアは、方針を転換して東アジア方面から不凍港を得ることにした、こうして日露戦争は引き起こされた、そして敗北したロシアは再び地中海方面での南下を狙って第一次世界大戦が勃発した(p238)
・アメリカは奴隷の面でも貿易の面でもアメリカの南北は「別の国」といえるほど対立が激化した、奴隷解放宣言に基づき奴隷は解放され自由になったが、土地も仕事も与えられなかった、結局解放された奴隷たちは仕事を求め、もとの奴隷主のところで小作人として働くことになる(p240)
・オスマン帝国は、ハンガリー、クリミア半島、ギリシア、エジプトを次々と失い、痩せ細っていった。これにつけこむようにロシアが本格的に南下しはじめた、さらにロシア=トルコ戦争により、ルーマニア、セルビア、モンテネグロ、ブルガリアを失った、さらに第一次世界大戦後には、イラク・シリア・ヨルダン・レバノンを失った(p277、279、281)
・日露戦争に間、ロシアの圧迫が緩んだので、トルコやイランは日本に深く感謝した、両国が今でも親日国な理由である(p280)
・オスマン帝国を滅亡させ、新たにトルコ共和国を樹立した「ケマル」は、ローザンヌ条約を新たに結び、領土を回復した。敗戦国が条約を結び直させ、領土を回復したことは歴史上でも非常に珍しい(p282)
・東欧においてユーゴスラビアのみはソ連の軍事力に頼らずに自力でナチス=ドイツ支配を打破したので、ソ連とは異なった社会主義を模索して、アメリカのマーシャルプランを受け入れようとしてソ連のコミンフォルムから除名された(p324)