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絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている

絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできているの写真

・化学は「物質(化学物質)を対象とした自然科学の一分野」で、物資の、性質・構造・化学反応の三つを研究しており、それぞれが関係しあっている(p4)

・ラボアジェは、燃焼するときに燃える物質と気体Aが結びついて新しい物質ができると考えた、その気体Aに、当初「生命の空気」その後「酸素」という名前をつけた。酸を作るものという意味のギリシア語から酸素という名前にした。のちに酸の素は水素であり、酸素は酸の元ではいことが判明する(p99)

・有史以来の木(薪)や木炭から石炭への転換は、第一次エネルギー革命と呼ばれる、石炭は燃やすと大気汚染の原因となる窒素酸化物、硫黄酸化物ができるので、石炭を蒸し焼きにしたコークスが使われるようになった(p103)

・照明用の鯨の油、獣脂、密ロウから作った蝋燭が使われていたが、安価なガス照明でイギリスの産業界は夜間の労働力が確保できた、日本では1872年に最初のガス灯が灯った、しかし強力なライバル=電力が台頭すると、電力による白熱灯とモーターの時代になったが、ガスは燃料用として残った、石炭ガスから天然ガスに変わった(p104)

・燃料電池車は、燃料電池のコストだけでなく水素は液体しにくいので水素の積載量が課題になる、水から作るときに大きなエネルギーが必要で、その時太陽光や風力、原子力を用いない限り結果的に二酸化炭素の排出量が多くなる(p106)

・ローマの滅亡とともに上水道は大部分が破壊され、上水道も下水道も中世末期までの長い間暗黒の状態を続けた、トイレも姿を消した。当時のキリスト教の教えでは、いかなる肉欲もできる限り制すべきと、肉体を晒す入浴は罪深いとなり、公衆浴場、自家風呂は消え失せ、衛生観念が無視された(p113)日本では水を処理してポンプによって送水をする近代水道が始まったのは、1887年から、10月に横浜でかいし、その後に、函館・長崎・大阪・東京・神戸と給水が開始された。(p119)

・長い歴史の中で人類に栽培されたイネは、野生のイネの特徴を失った。花が咲くとすぐに自分の花粉が「めしべ」につく自家受粉によって受精し、見ができるようになった。私たちが、そのような突然変異体を選び出して育ててきたからだ。こうして全て同じ性質を持ったイネになり、栽培しやすくなったが、その分弱くなった(p131)小麦、大麦も基本的には同様である(p132)

・ジャガイモは18世紀以降のヨーロッパの人口増大に貢献した、日本へは16世紀末の戦国時代にジャワ(ジャガタラ)からきたオランダ人によって伝えられ、これが名前の由来になる。広く栽培されるようになったのは明治時代以降、ジャガイモは肉類と一緒に食べると美味しさが出る、そのためサツマイモと異なり、肉食が普及する明治時代まで時間を必要とした(p136)

・加熱をすれば雑菌、寄生虫は死滅するので多くの場合、より安全に食べられるようになる。食材の加熱調理により、柔らかくて食べやすくなり、消化・吸収しやすくなる。味や香りが良くなり「おいしく」なる。肉の主成分は、水とタンパク質と脂肪だが、タンパク質は分子が大きく、そのままでは味を感じることはないが、分解されたアミノ酸は「旨味」として感じることができる(p145)

て変わった、アフリカの奴隷との交換品は、布地・貝殻・水差しなど多岐にわたっていた、最も貴重なのは布地だったが、蒸留酒(ワインを蒸留したブランデー)も人気があった(p161)

・セラミックとして包丁に使われるものは、ジルコニア(酸化ジルコニウム)を原料とし、硬くて頑丈で粘りのある性質を利用している、切れ味も長持ちして食べ物の匂いが移りにくい(p180)

・1991年に東大寺境内から世界最大級の溶解炉が発見された、752年には東大寺大仏の鋳造完成後の補修が終わり、金メッキ作業が開始された、この時、銅500トン、水銀2.5トン、金438キロが使用されたと記録が残っている(p206)

・鉄鉱石ならコークスによって鉄と酸素の結びつきから酸素を外すことができるが、アルミナはコークスではびくともしない。1825年にデンマークの物理学者ハンス、1827年には科学者フリードリッヒがアルミニウムよりもイオン化傾向が大きく、酸素と強く結びつくカリウムを使って純粋なアルミニウムを取り出すことに成功した(p220)

・コロンブスは大航海で見つけたエスパニョーラ島(ハイチ島)をジパングと断定した、島民が金の産地を「シバオ」と発音したのが誤解のもと(p237)

・イギリスが覇権国になった時には、貿易品のメインはインドの綿織物、中国の茶に移っており、香辛料の重要性は低下していった。19世紀中頃、冷凍技術が開発され、その発展によって香辛料の重要性は低下していった(p240)

・紀元前3600年頃のエジプトの法律によれば、金と銀の価値は、1:2.5であり銀の方が金よりも高価なので、わざわざ金に銀メッキを施した装飾品も存在している。その後に鉱石から銀を取り出す技術の向上に伴い、銀鉱石からの生産が増加して、銀の価値は金に比べて低いものとなった(p247)1503年から1660年までに約、1万5000トンの銀がスペインに流れ(それまでの6−7倍)欧州での銀価は下落、そして物価は3−4倍に高騰しスペインの賃金は欧州で最も高くなり、毛織物などの製品は国際市場での競争力を失った。価格革命は金額の固定した地代収入に依存していた封建貴族層の地位低下、農民の地位向上=農奴解放となった(p249)

・1828年、ドイツの化学者ウェーラーは、無機物のシアン酸アンモニウムを加熱して、有機物の尿素を人工的に作り出すことに成功した、これは画期的なことであり、その事実は当時の化学者に衝撃を与えた(p258)

・1860年以降、世界の染料工業を先導したのはドイツの3つの会社、バーデン・アニリン&ソーダ製造所(BASF)、ヘキスト、バイエル。1900年には染料市場の90%を占めた(p265)

・耐性菌を生む一つの原因は抗生物質の多用である、抗生物質はウィルスには効かないので、風邪には明らかに細菌感染が疑われるときのみ処方すべき(p278)

・歴史上に現れる麻薬は、天然の植物から採るものであり、ケシ・コカ・大麻の3種類の植物が知られている。ケシからは、アヘン・モルヒネ・ヘロインがつくられる。(p284)

・コーヒーや茶を輸入したのはイギリスとオランダの東インド会社である、イギリスはコーヒーを早くから扱っていたが、1730年代になると飛躍的に茶が増えてコーヒーは減った。オランダとのコーヒー輸入競争に負けたから、そのため中国からの茶の輸入が増えた、当時の茶の供給源は中国のみであった、輸入するために銀貨を支払った。1775ー1783年までのアメリカ独立革命における敗北でイギリスの財政は苦しくなり銀の保有が不足し始める。東インド会社がインドのベンガル地方でのケシ栽培の独占権を持っていたので、アヘンを清国に密輸することを画策した(p287)

・イギリスの国王(ジェームズいっせい、チャールズ一世)もタバコの専売を強化し、しばしば喫煙を取り締まった、こうした国王とタバコの取り締まりに反対した議会、議会を支持する国民との対立はエスカレートして、ついには1614年から始まるピューリタン革命へと発展し、これにより喫煙は自由うになり、一気に国民の間に広まった(p304)

・ヘキサメチレンジアミンとアジピン酸から合成した、ナイロン66が生まれた、この工業化へ向けて、デュポン社の総力を結集して開発研究が進められた(p310)日本において、ナイロンの登場、特にストッキングがナイロン製に代わったことにより、カイコをカイコを飼って暮らしてきた200万人の農家・生糸産業にとって衝撃となった(p311)

・歴史的に重要だった天然繊維は、亜麻(麻の一種)、綿、絹、羊毛の4種類である。(p315)羊毛の主な産地が、オーストラリア、アメリカ、アルゼンチンになったのは、新大陸の開拓にはまず羊が持ち込まれたから。毛織物はイギリスエリザベス一世において保護されたが、産業革命の花形である「綿」に主役を奪われた(p318)

・1872年ドイツの化学者バイヤーは、フェノールとホルムアルデヒドの反応より樹脂状の物質を得ていた、30年後の1902年、ベークランドは写真用印画紙を発明して、1899年にコダックに75万ドルで売却すると、その資金を元にアメリカに研究所を設立した。熱硬化性プラスチックの特許を取得したのは1909年、1910年にゼネラルベークライト社を作って工業化を開始した。これをきっかけに新しいプラスチックが研究されるようになった、生産量が多い順に、ポリエチレン・ポリプロピレン・ポリ塩化ビニル・ポリスチレンとなり4大プラスチックと呼ばれている(p324)

・2017年時点で、年間2億1900万人がマラリアに感染し、約43万人が死亡している(p337)

・素焼きの壺に入れた液体の水は冷たくなる、これは壺から滲み出た水が蒸発するときに周りから気化熱を奪うから(p339)

・オゾン層は原始地球の時代からあったのではない、原始地球の大気は主に二酸化炭素で、他には水蒸気や窒素であった。光合成をして二酸化炭素を吸収し酸素を放出するラン藻などの生物の登場によって酸素が増えていった。その酸素をもとに、太陽光の紫外線の働きでオゾンが作られた。(p344)

・ギリシア火の成分は、ナフサ、硫黄や硝石、松ヤニ、アスファルト、ピッチという説がある、ナフサならば現在の火炎放射器・ナパーム弾の仲間、後者ならば火薬である。14世紀前半に火薬の実用化が始まるまでは、「ギリシアの火」はビザンツ帝国のみが持つ秘密の武器として恐れられた(p350)

・中国の金王朝は、鉄製の容器に火薬(硝石・硫黄・木炭)を詰めて点火して投石器で1232年に攻めてきたモンゴル軍を撃退した、これ以降モンゴルは黒色火薬を用いることになった。イスラム世界を経て、13世紀に西欧に伝わると、黒色火薬は大砲・鉄砲に使用される。1381年に鉄砲が南ドイツで出現、実用化は15世紀後半、16世紀には普及した。戦場における戦い方が変化したことで、騎士階級の没落を促した。騎士の騎馬戦術が意味をなさなくなり、戦闘の主力は鉄砲で武装した歩兵集団に移っていった(p352)

・ノーベルの遺言、物理学・化学・生理学または医学・文学・国家間の友好、軍隊の廃止、平和会議の推進をしたものに賞の形で分配することとした。物理・化学賞は、スウェーデン科学アカデミー、生理学・医学省は、ストックホルムのカロリンスカ研究所、文学賞は、ストックホルムのアカデミー、平和賞は、ノルウェー国会が選出する五人の委員会によって与えられる。1901年から授与が始まり、1969ねんに経済学賞が新設された(p357)