・産業革命の何がすごかったかというと「気候変動の関数」を打ち破ったこと、19世紀までの大国の攻防には気候変動の関数が大きく作用していた。要は地球が寒冷化すると、北から様々な部族が南下して混乱が始まり大国が分裂する、そして温暖化すると大国が復活し政治が安定する。今まではその繰り返しであった、産業革命により生まれた工業の力は、温暖化を待たずとも大国を形成することが可能になった(p3)欧米列強の覇権の土台には、産業革命と国民国家という2大イノベーションがあった、これが世界に広がっていった(p4)
・人類五千年の歴史の中で、死後にも残るグランドデザインを描き大帝国と呼ぶに相応しい帝国を作った人は数えるほど、カエサル・フェデリーコ2世、ナポレオンの3人(p5)
・興味のある時代やジャンルがあって小説やノンフィクション、歴史書を取るときに、背景となる人類五千年の歴史の流れが頭にあれば小さな物語の意味をより深く理解できる。大きな流れや文脈の中で小さな物語を捉えることで、個別の事象や登場人物の意味や造形がくっきりと浮かび上がる、目にうつる世界の解像度が上がる(p6)
・メソポタミアでは、アッカド王サルゴンが初めて統一国家を作った、これが世界初の帝国(いろいろな言語を話す人を治める1つの国)である。帝国を治めるには共通語が必要になる、アッカド語は世界初の共通語(リンガ・フランカ)(p24)
・小さな民族のフェニキア人はアルファベットをシナイ半島(メソポタミアとエジプトの交差点)、メソポタミアは「くさび形文字」エジプトは「象形文字」を使っていた。両方覚えるのは大変なので、シナイ半島の人々はアルファベット(あらゆる言葉を20数文字で表現可能)を生んだ。このイノベーションはサボりたいという気持ちから生まれる(p10)
・アッシリアが瓦解して、新バビロニアなど4国が並列する時代を経て、アカイメネス朝というペルシア人の大帝国が誕生、ダレイオス1世が道を整備し、駅伝の制度を作った、さらに共通語をアラム語に変えて、第二の共通語を作った、その後、マケドニアのアレクサンドロス大王はギリシア語(コイネーと呼ばれる口語)を共通語にした(p33)
・紙は始皇帝の頃から原型(竹簡や木簡)があったが、書写材料に、漢字という文字が揃っているので文書行政ができたところが中国の凄さである。始皇帝は、文字を統一、度量衡を統一、車軌を統一した、車の幅を揃えることで泥道に鉄道を引いたようなわだちができて物流が楽になった、貨幣の統一は二世皇帝である(p37)中国で大国が多くできたのは、漢字があり書写材料が豊富であったから(p45)
・ユダヤ人のディアスポラ(散在)はユダヤ人は故郷を失って世界中を放浪するようになったのではなく、田舎へ帰るのは嫌な人々が、都会を渡り歩いたというのがユダヤ人の歴史である(p49)
・パウロはコイネーと言われるギリシア語でキリスト教を説教した、イエスはアラム語(2番目の共通語)であった、3番目の共通語を使っていたのでユダヤ人でない人でもみんなわかった、これがキリスト教が広がった理由である(p52)
・ローマ帝国はコンスタンチノープルへ遷都して東方中心に国をまとめようとするが、あちこちで道路や役所が異民族に襲われ、自慢の情報網が機能しなくなった、そこへアンプロシウスというミラノ司教がローマ皇帝のテオドシウスへ、キリスト教のネットワークを使うことを提案し、その代わりにキリスト教をローマ帝国の国教にしてもらった。教会勢力は、さらにギリシア・ローマのお祭りである、古代オリンピックを廃止させた。さらに6世紀には、ユスティニアヌスというローマ皇帝に思想弾圧をやらせて、プラトンとアリストテレスが作った大学(アカデメイア、リュケイオン)を閉鎖させた(焚書坑儒)学者達はサーサーン朝(ペルシア)へ逃れたの歳以上、ギリシア・ローマ学問はペルシアで保存された(p58)
・奈良時代の日本で作られた大仏の大本は、北魏か伝来した、日本の平城京の語源は、北魏の首都の平城と言われる(p60)
・百済が日本に最新の技術体系を教えた理由は、当時(538年の仏教伝来)は高句麗や新羅に押されて国が滅ぶかどうかの瀬戸際にあった、538年とは百済が新羅から逃れるように遷都した年である(p65)仏教を受け入れる方(蘇我氏)が圧勝するのは、ゼネコンが喜ぶから。お寺を建てたり仏像を作ったりして工事が増えるから。旧知派についても仕事は来ない(p66)
・白村江の戦いで負けて日本は国家存亡の危機にあったが、唐と新羅が喧嘩をして時間が稼げた、持統天皇と藤原不比等はその間に日本の体制を立て直そうと努力した、日本という国号を作り、武則天が作った「天皇」という称号を日本に持ち込んで日本書紀を作り、藤原京、律令を作った(p75)
・東にセルジュク朝、西にノルマン人、東ローマ帝国は1071年(マラズギルトの戦い)以後に、戦いをやめてお金を使った外交でやっていくという転機となった(p90)
・東ローマ帝国にローマ皇帝はいるが、ローマ教皇からローマ皇帝として戴冠されたザクセン朝のオットー1世は後に「神聖ローマ皇帝」と呼ばれる(p91)
・1054年に東西協会が最終的に分裂し、この状態は1965年に相互破門を解消するまで900年続いた、東方教会とローマ教会はこの時から違った道を歩み始めた(p92)
・スペイン、トレドには大図書館があり、アラビア語に訳されたギリシア・ローマ古典がたくさんあった、アルフォンソ6世はラテン語に翻訳させた、それまでプラトン、アリストテレスの著作はヨーロッパにから消えていたが、それが欧州に戻ってきて、12世紀のルネサンスは始まった(p94)
・支配階級のフランス人にとって牛は食べ物だったので、牛肉をさすビーフというフランス語が英語に入った、アングロサクソンにとって牛は飼って畑を耕したりするものなので、オックス、カウという英語は家畜の牛を刺す言葉として残った(p95)
・もともと東方のイスラムの方がはるかに文明が進んでいたので、十字軍国家は歯が立ちません、十字軍がまともに勝てたのは最初だけであった(p96)十字軍のおかげで、ベネツィアといったイタリアの海の共和国が栄えた、最初はアマルフィ、それからピサ、ジェノバ、ベネツィアが地中海貿易で勃興した(p97)
・平清盛は宋から宋銭を本格的に輸入することで日本に貨幣経済を持ち込みマネーの循環を生み出した、中国は進んでいて紙幣を使い出したから(p106)
・マグナカルタができたのと同じ年1215年に、ローマ教会に告解部屋ができる、顔を見られずに司教や司祭とこっそり話ができる、これが結果的にものすごく大きい権力をローマ教会に与えた、膨大な小さな情報が全部ローマ教会に集まったら大きな絵が描ける、ローマ教会は悩みの情報ネットワークによってものすごく大きな力を持つようになる(p109)1216年には異端審問制度を作った、これを持つのはキリスト教の中でローマ教会のみ、世界の宗教でこれを持っている宗教はない、異端と思ったら追放すれば良いものを、わざわざ処罰して死刑に処すのがこの制度である、こんな制度を思いついたのは、教皇領という領土を持ってしまったからかもしれない(p111)
・テムジン(チンギスカン)の子供4兄弟は非常に優秀であった、長男のジョチの子供バドゥはボルガ川のほとりにジョチ・ウルス(キプチャクハン)。次男がチャガタイハン、4男トルイの次男クビライが大元ウルス、三男フレグはペルシアで、イルハンを作った(p116)
・クビライが日本に攻めてきたのは日本にある硫黄に目をつけた、その後に他の国でも硫黄が発見されたので日本の硫黄に対するニーズは減った(p121)
・1473年のバシュケントの戦いにおいて、オスマン朝は鉄砲を持たせた歩兵イェニチェリ軍団を作った、その軍団がユーラシアで無敵を誇ってきた騎馬軍団を破り、ここから騎馬軍団の黄昏が始まった(p138)
・5つに分かれていたイタリア半島にあった国(ミラノ、ベネツィア、フィレンツエ、教皇領、ナポリ)は仲良くしようということになった、1)オスマントルコが東ローマ帝国を滅ぼした、2)イギリスとフランスの100年戦争がフランスの勝利で終わった(p140)
・コロンブスの新大陸到達により旧大陸と多くのものが交換された、旧大陸はジャガイモ、とうもろこし、タバコを得た、新大陸は小麦を得たものの、病原菌により新大陸は旧大陸に大負けした、一矢報いたのは梅毒だが被害の規模が違いすぎる(p145)
・かつて(13−14世紀)のモンゴルは16世紀には5分割された、明の中国、ムガール朝のインド、サヴァヴィー朝ペルシア、ロシア、オスマン朝(p148)
・1721年に二スタット条約が結ばれて大北方戦争が終わる、これはスウェーデンの死亡診断書と言われる、エストニアなどの大陸に持っていた領土の多くを失い、ロシアがバルト海進出を果たす、ロシアはロシア帝国に昇格した(p185)
・1820年には清とインドで半分を占めていたGDPは半分を占めていたが、1870年には30%程度、米英が7%→20%程度に躍進、日本は3%程度(p204)1913年には中国9%から1950年5%、アメリカは19→27%、日本は3%程度(p258)1973→1998年において、中国インドは、5%,3%→12%、5%へ、アメリカは22%、日本は8%程度、ソ連は10→4%(p274)
・1899年の英蘭のボーア戦争により大英帝国のインド洋における兵力(50万人)が南アフリカに釘付けにされたので、これが日英同盟に結びついた(p224)
・第一次世界大戦のドイツの賠償金は当初1320億金マルク(ドイツ帝国で使用されていた通貨)で当時の日本国家予算の40年分、現在価値で4000兆円、最終的には30億金マルク(p239)
・民族自決の方針(アメリカ大統領、ウィルソン)は、負けたドイツ・オーストリア、オスマン朝の領地及び植民地にしか適用しないとしたので、トルコがこれに反発、今日も続くトルコのクルド人問題はここから始まっている(p240)
2023年2月24日読了