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summary

忘れられた日本史の現場を歩く

忘れられた日本史の現場を歩くの写真

・墓石を見ていくと、多くが同じ相川姓であった、明治時代になって平民も姓を名乗るようになった際、相川姓を地主からもらった小作の人々が多かったからである(p27)

・既存の権威が失墜すると、人々はその一つ前の時代の権威にすがるというのは、どの時代でも見られることである(p32)

・飢饉の発生する原因は、東北地方という寒冷地における稲作も原因の一つであるが、江戸を中心に貨幣経済が確立され、日本国内における経済のグローバル化が進んだことにも原因がある、商業資本が発達し、商人が地主化することにより、多くの自作農が小作に転落し、農村が疲弊した(p45)

・キリシタンには2つのグループがあり、カトリック本来の教義が迫害を受けているうちに忘れられていき、仏教は神道と融合した独特の信仰を持つようになった「隱れキリシタン」、カトリックの教義を護り続け、明治になって禁教が解かれた時、その信仰を公にした者たちを「潜伏キリシタン」という(p84)

・畑にしても田んぼにしても、元々林や荒地だったのを人々が何世代にもわたって、木を伐し、石ころをどかして、作り上げた人工物である。人の手が入らないと、いつの間にか「柳、ススキ、セイタカアワダチソウ」に覆われて全くの荒地となってしまう(p124)

・江戸時代には、幕府の政策により天領以外の移民は禁止されていたが、浄土真宗の門徒たちは、親鸞の旧蹟を尋ねるといった名目で通行手形をもらい、故郷を離れた(p125)