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summary

幕末「円ドル」戦争 大君の通貨 (文春文庫)

幕末「円ドル」戦争 大君の通貨 (文春文庫)の写真

・江戸条約(米、蘭、露、英、仏と締結)の通商条約により、函館・神奈川・長崎の3港で通商が開始されるのは、1859.7(日本歴6.2)だが、長崎だけは一足早く開港していた(p11)

・当時の長崎の特産物は石炭、上海で売買されている価格の3分の1程度(p27)

・重さで比較すると、メキシコドルはイチブの3倍、日本側は、イチブ貨は3倍のメキシコドルと同じ価値があると主張、イチブ貨は政府の刻印をもつ
ことで3倍の価値が与えられている(p41)

・横浜では銀5グラムを金1グラムと交換可能、これを上海に持っていき売ると、銀16グラムが入手、それを横浜で金3グラムと交換可能、これが同量交換でイチブを手に入れると金儲けできる仕組み(p77)

・当時(幕末)のドルは、1ドルおよそ4万円程度(p84)

・金含有量では、小判5枚(5両)=20ドル金貨、つまり金貨比較では、1両(16朱)=4ドル=16万円(p97)

・日本の銭相場は、当時1分(1/4両)=1600文であった、現在価値では1文=25円(p98)

・幕府がドルを鋳造し直した1分銀の両替を横浜ではじめたのは、水野を左遷する5日前、間部は水野に内緒で事を運んだ、そして横浜の本格的な小判流出(ゴールドラッシュ)は始まった、横浜はカリフォルニア、オーストラリアに次ぐゴールドラッシュに沸きかえる町となった(p130)

・1860.2.1(日本歴)から、小判1両=3両1分2朱、つまり金価格を3.375
倍引き上げると発表した(p165)

・金価格を引き上げるとは、イチブがそれだけの価値しかもたない、ただの通貨に成り下がること、つまり、イチブを発行することによる財政収入をそっくり失うことを意味する(p241)

・オイルショック時(昭和48)の物価調整は2倍であったが、ハリスショックインフレは、3.375倍であり、この物価調整はオイルショックの比ではない(p270)

・インフレの弱者は、町人以外の「士・民」、町民は賃金が日払い、月払いなので物価上昇を遅れながら追いかけられるが、それができなかったのが武士、禄米取りの武士も米をもらうまでに物価があがるので実質賃金は目減りした(p271)