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summary

戸籍の日本史

戸籍の日本史の写真

・戸籍の本質とは「日本人であることの証明」である、 言い換えるならば 戸籍を持っている人は全て日本国籍ということであり、 裏を返せば 戸籍のない人は日本人ではないとみなされる(p20)

・外国人と日本人が結婚しても2人が「 夫婦」として名を連ねる 戸籍は作られることは ない、日本人の配偶者について新たな 戸籍が作られるのみである、 当人たちからすれば これでは結婚したという 達成感はないかもしれない、 ただし日本人の戸籍には外国人と結婚したという 法的な事実は記載される (p23)

・明治閏4年(1871) 4月4日、 太政官布告170号として、最初の戸籍法が 新政府によって交付された、 これに基づき 翌年から編製されたのが「 壬辰戸籍」である、 この戸籍は日本に居住する全ての身分、 すなわち「華族・士族・神官・僧侶・平民」に至る全ての身分のものを戸籍に登録することで、神国化において皆が平等な日本人となることを顕示するのが目的であった(p29)

・日本が近代の国歌を築いていく過程には欧米と対照的な特色があった、 君主制を廃止して 政教分離に基づく国民国家を築いた フランス などとは逆に「 日本」という国民国家を築く ためのシンボルとして、 神話時代から存在する君主、 すなわち 天皇をまつり上げた点である(p31)  天皇の威光の下に全ての人民が「臣民」として包摂されるという物語が作られた(p31)

・治安維持も戸籍制度における重要な目的であった、日本書紀には 670年に「戸籍を作る、 盗賊と 浮浪を断つ」との記述がある、戸籍を作るということは 社会からの「はみ出し者」を統制し彼らを国家の定めた秩序に回収することでもあった (p35)

・古代の公地公民制が滅びたのは、人民がアトム化して私益だけを求めたからである、 明治国家において それを再現させないために、まず人民を「家」の一員として設定することで、 各々が個人主義に流れることを防ぎ、その家の延長としての国家へと統合していく。 そこで 明治政府は「家長」を 戸籍制度の中に導入した、すなわち「戸主制度」である(p37)

・同じ戸籍に入っている者こそが「家」の一員ということである、 これが 明治 民法の要である、なぜ重要なのかというと、この家 すなわち 戸籍に入る、 入らないということを決めるのは「家長」の 権限とされたからである (p41) 戸主は、国家の出先機関として、家族を統制して「 正しき国民」としての倫理・責任感を植え付ける役割を託された(p46)

・隠居による 家督の交代は、家内の 権力関係の逆転をもたらすものである、 戸主に対する家族の恭順は当然とされるから、隠居した父が 今度は、新戸主(子供) の監督下に服することになる(p59)

・男系 社会は世界中に少なくないが、 日本のように「家を継ぐため」の手段として女が婿を取るというのは世界に類例がない。中国や朝鮮 などの儒教社会では 血統を表す「姓」に価値観があるので、婿という「異姓」 つまり 他家の人間に家督を渡すことはありえない(p62)

・政府が国民全般に、 苗字を持つことを許可したのは1870年である、 これは全国統一 戸籍の編製への布石であった、 ただ 許可制では国民が積極的に苗字を作ろうとしなかったため、 1875年には幼児の使用を義務化した (p66)

・人別帳は庶民を対象にしたもので、支配層である 武士は「分限帳」という武士 専用の登録簿によって管理されていた、僧尼 ・神官も、人別改の対象外であった。人別改は、天領と藩領のみであった(p85)

・ 琉球は「清」 を表として「 島津家」を裏とする 二重支配体制が行われていた、これが崩れることになったのは19世紀になって 欧米が東アジアに進出して、イギリスがアヘン戦争で中国を武力によって 屈服させたからである(p109)

・ 徴兵制は満17歳から40歳の男子を対象に「 国民皆兵」を原則にしていたが、 戸主・長男・ 養子・ 家業の管理者については 兵役を免除するものとしていた(p118)

・明治政府は 明治19年に戸籍制度の改正に踏み切った、 こうして生まれた 明治19年式戸籍は戸籍法の近代化を 導く 改革があった、除籍簿が作られたので、 明治時代までは 家系図を作ることができる(p126)

・ 2003年に個人情報保護法が制定、 2008年5月に戸籍法は改正された。 これにより有資格者についても請求事由を詳細に記載することを義務付け、 戸籍謄本などの交付請求の制限を厳しくした (p162)