・青銅(銅・錫合金)は加工しやすく銅よりも硬く武器として需要が高い上に、青銅は出来立ては「眩い黄金色」をしていて儀式用具としても需要が高かった、錫は産地が少なく戦略的価値は今日の石油に匹敵する、錫の産地は、イベリア半島とイギリスのコーンウォール半島であり、フェニキア人はこの錫の産地までの海上貿易網を拡げて、錫の提供を独占して地中海貿易の支配者となった(p39)
・前1200年に旱魃や地震によりヒッタイト王国の内部崩壊が始まり、これにより貿易相手であったエジプトやミケーネ(ギリシア)の商取引が不振、大国の衰退は周辺民族の台頭や移住を促し、海の民など諸民族の移動が始まった、現在のリーマンショック(p45)
・大運河は中国における物流の大動脈として機能する、北宋(開封)南宋(臨安=杭州)元(大都=北京)明(南京→北京)清(盛京→北京)以降の王朝の首都がいずれも大運河沿線に位置する都市に置かれる(p71)
・古代末期、欧州と呼ばれる地域は、南北で2分されていた、南は「ローマ帝国」北はゲルマン人が割拠していた、ローマ帝国の北の国境となっていたのが、ライン川とドナウ川である(p89)西ローマ帝国は476年に滅亡するが、西ローマ皇帝が「空位」になったと見るべきもの、東ローマ帝国(ビザンティン帝国、首都=コンスタンティノープル=イスタンブール)として1000年にわたって命脈を保つ(p91)800年のクリスマス、カールは西ローマ皇帝に戴冠され、西ローマ帝国が復活するが、かつてのそれとは全く異なる(p95)
・ゲルマン諸国で例外的に長期政権を築いたのは、フランク王国であった、王国の建国者:グローヴィスがローマ系住民が信仰するアタナシウス(ニケイア派)に改宗し、教会の聖職者を官僚(読み書きのできる人)にして、官僚制(徴税システム)を確立したことにある(p92)
・カール大帝の西ローマ帝国では、キリスト教(教会組織)を国家運営の中核に据え、キリスト教を布教することでローマ帝国以上に多様な民族を吸収・拡大することを可能にした(p95)ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)の加盟6カ国(仏伊西独蘭べル)は、カール大帝の西ローマ帝国にほぼ合致する(p96)
・ヴァイキングは3つに大別される、1)デーン人(デンマーク)、2)ノール人(ノルウェー)、3)スウェード人(スウェーデン)(p100)ルーシ(東ローロッパのスラブ人)は南部に進出し、キエフ・ルーシ(キエフ大公国)の成立となる、ドニエプル川を中心とした水上貿易で繁栄し、北欧と東ローマ帝国を中継した交易路は「ヴァリアーグ(北欧人)からギリシア(東ローマ帝国)への道」と称された(p101)
・ローマ帝国の東西分裂は、キリスト教圏の分断も招く、ローマ教会がフランク王国という協力者を得たこともあり11世紀に東西両協会は分断したとみなされる、ローマ教皇を頂点とするローマ・カトリック、小ンスタンティノポリス総主教を頂点とするギリシア正教、あるいはその影響を受けた東方正教が確立する(p103)エルベ川が東と西欧州の境界となる(p104)
・中世都市を象徴するのが、中央広場(=市場)と城壁である、城壁は外敵から身を守るだけでなく、城壁内に居住する市民は、都市という共同体においては相対的にエリートに位置する人々であった、正式に市民とみなされたのは、都市貴族・富裕な商人、そして手工業者ビルドの親方に限られ、彼らは市参事会への出席が認められた、のちに「ブルジョアと呼ばれるようになる(p111)
・中世とは、キリスト教・地方分権の時代、近代は、理性(≒科学)と中央集権の時代、近世とは、中世から近代に変容する時代である(p119)
・15-16世紀当時の欧州人にとって「インド」はアジアと新大陸の両方を指す言葉になってしまったので、本来のアジアはヨーロッパから見て東寄りに位置するので「東インド」、新大陸は西寄りに位置するので「西インド」と読んで区別することになった(p123)
・当時の貨幣は銀であった、銀の増加は貨幣量の増加になり、貨幣価値が下がり物価が上昇する、欧州では100年にわたり上昇を続ける、これを価格革命という、その原因には銀の流通量増加のほかに、人口急増説もある、人口の増加に対して作物などの生産が追いつかず、物価上昇を招いた(p125)
・16世紀のスペイン国王カルロス1世は、神聖ローマ皇帝(=カール5世)となり、オーストリア・ネーデルランド(今日のベネルクス3国)・スペイン・イタリアを継承した、退位した時に、長男フェリペ2世にはスペイン、ネーデルランド、新大陸、弟のフェルナンド1世には、神聖ローマ皇帝位とオーストリアを承継させた、これにより、スペイン・ハプスブルク家と、オーストリア・ハプスブルク家に別れた(p130)
・神聖ローマ帝国は、カトリック領邦とプロテスタント領邦の対立が続き、ついに17世紀に大戦争を引き起こす、これが30年戦争である、1648年にウェストファリア条約が結ばれて終結し、欧州における主権国家体制が確立した、各両方のがみな完全なお主権を手にして、神聖ローマ帝国は集権国家ではく、国家連合体としの役割が顕著になった(p140)
・オーストリアは17世紀末に、スペイン・ハプスブルク家が断絶すると、ハプスブルク家唯一の根拠地となる、17世紀末にオスマントルコ帝国との大トルコ戦争に勝利したことで、ハンガリーを得る、同君連合でありオーストリアによる他領域の一元支配では決してなかった(p143)
・ロシアでは、イワン3世が、ジョチ・ウルスからの独立を果たし、モスクワ大公国となる、イワン3世は滅亡した東ローマ帝国の継承者を自認して、東ローマ皇帝号(カエサル)から転じた「ツアーリ」という君主号を名乗った、首都モスクワは、ローマ、小ンスタンティノポリスと並ぶキリスト教会の中心地として「第三のローマ」と名乗った(p144)
・徴兵制は、ジロンド派政府(ブルジョア支持)が発令した時は国民の強い反発があったが、後に正式に徴兵制として制度化された、革命政府は、参政権を得るには、その見返りとして兵役を果たすべし、とした(p165)
・ドイツ領邦を実力で制覇したナポレオン(1805)は、中瀬以来の神聖ローマ帝国を解体し、代わって「ライン同盟」というドイツ国家の連合体を組織した(p168)1815年にウィーン体制となったとき、ドイツ連邦という国家連合体が組織された、従来300あったドイツ領邦は、35の君主国と4自由都市(=主権を保持した都市国家:ハンブルク、リューベック、ブレーメン、フランクフルト)に再編された(p173)