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summary

空白の桶狭間

空白の桶狭間の写真

・人は皆、その地位よりひとつ上のことをさせれば、目の色が変わる(p29)

・尾張が水浸しになるエリアであったため、尾張の政治と地域経済に特異な性格を与えた、1)領内の産業が繊維産業(根が深い)に傾斜し、楽市楽座へ発展、2)女子労働が多く、男は比較的自由があり、兵の通年採用が可能(p107)

・当時の信長の動員兵力は4000人、清洲城守備兵:1500-2000人、那古野城:1500人とすると、2000人程度が動員できる限界(p109)

・100対80の兵が戦うと、80の部隊は全滅し、相手の部隊には致命傷を与えることができない、100の二乗と80の二乗の差である3600(60の二乗)のため(p136)

・源平の戦いの「一の谷の戦い」も、謀略の可能性がある(p143)

・桶狭間に参加した織田の20騎は、最終的には800となっていった(p221)

・今川氏真は、江戸の家康の元で、わずかな知行をもらって77歳まで品川に在住した、徳川から禄をもらっているので家康の陰謀参加は門外不出となった(p223)