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summary

信長の血脈 (文春文庫)

信長の血脈 (文春文庫)の写真

・岩倉城を居城とする守護代の嫡流織田伊勢の守(信安)、清須城を居城とする守護代の傍流織田大和守の二大系統に分かれて、上四郡と下四郡(知多含む)を分割支配していた(p13)

・屠蘇とは、酒に、山椒・肉桂・桔梗・ミカンの皮・赤小豆等の7種類の薬草をいれたもの(p17)

・尾張の守護代に過ぎない一家老に過ぎない信秀が大きな城を構えたわけは、この居城から1キロ以内に津島を領有していたから(p33)

・たわけ者とは、戯けと書き、頭の良し悪しとは違って、悪ふさげすることで、多くの場合は近親相姦を示した(p74)

・平手政秀が自害したのちに信長は変身した、3か月後には数年来の約束であった舅である斎藤道三との会見をした(p94)

・淀の方は敬語、淀君は侮蔑語である、当時、女の「君」には、だれにでも肌を許す遊君という意味があった(p174)

・富岡城が幕府の一国一条令の例外として、唐津城のほかに認められている。対岸の交易港・長崎を異国の侵入から防ぐという意味もあった(p260)

・当時の日本において明智光秀の謀反に一番理解を示したのは、徳川家。数多くの明智の関係者を迎え入れている(p279)

・江戸城内では、十万石の大名は、詰所7か所の上位二番目にあたる「大広間」に殿中席次を与えられていた(p310)

・キリスト教が、メキシコを含む中南米、アジア諸国で、なぜ日本ほどの宗教的抵抗や摩擦がなかったかという理由として、国民の識字率が低く、ほとんど無知であった。さらに、日本の武士のような幅広い知識階級が存在しなかったことにある(p324)

・島原の乱が一般の百姓一揆と異なるのは、戦う理念が明確、為政者よりも農民側が迅速で組織的、農民の兵器が充実していた、ことにある(p359)