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日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく (平凡社新書 453)

日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく (平凡社新書 453)の写真

・通常15財閥は、GHQが指定した10財閥(三井、三菱、住友、安田、浅野、古河、大倉、野村、日産、中島)と、渋沢、川崎造船、日窒、日曹、理研を指す(p20)

・三井は貿易、三菱は加工産業、住友は素材産業に強く、すべての分野を網羅していたわけではない(p22)

・取り付け騒ぎ後に、三井・三菱・住友・安田(富士)・第一の五大銀行体制が確率、鴻池・山口・34銀行が合併して三和銀行が誕生して6大銀行となった(p24)

・安田、第一、三和銀行は、出身母体の財閥に固執せずに、新興系企業集団を形成した(p29)

・三井と三菱は熾烈な値下げ合戦を行った後に、1885年に共倒れを懸念して合併して日本郵船となった(p47)

・1893年、岩崎弥之助は、三菱合資会社を設立、1934年に三菱造船と三菱航空機を合併して三菱重工業となった(p49、50)

・1937年には、株式会社三菱社、1943年には株式会社三菱本社として、財閥本社という位置づけを明確にした(p51)

・世間では俗に、「三菱(電機)殿様、日立(製作所)野武士、松下(電器)商人」と呼ばれていた(p61)

・住友の保有していた伊予(愛媛)の別子銅山は、国内最大の産銅額を誇り、住友家の発展に貢献した(p75)

・戦前の三大財閥の資産比較は、三井:三菱:住友=7:5:2と言われていた(p83)

・住友銀行とさくら(太陽神戸三井銀行)は合併したが、その数日後には、三井海上、日本、興亜火災海上保険の経営統合が発表、これは、さくら銀行と三和銀行との合併を前提としていたと考えられる(p85)

・「住友と国家の利益が相反する場合はどちらをとるか」の問に対して一番良い答えは「国家の利益と相反する事業には、住友は手を出さないはず」である(p87)

・1909年に三井合名会社(持株会社)を設立して、参加の合名会社(三井銀行、三井物産、三井鉱山等)を持株会社に改組した(p103)

・三井合名を解散すると膨大な含み資産の清算所得税を納める必要があったので、1940年に三井物産が三井合名を吸収合併して、事実上の三井合名の株式会社化となった(p106)

・戦前には三井の影響下にあった、トヨタ、東芝、王子製紙、小野田セメントは、戦後しばらくは三井グループから距離を置いたので、独立系企業と認識された(p110)

・三菱、住友は製造業中心なので年功序列のチームプレーを重視、金融・商業中心の三井財閥は「抜擢」を重視した(p115)

・富士銀行は優良企業を選別して、そのメインバンクとなった、例として、浅野(日本鋼管、日本セメント等)、大倉(大成建設)、日産(日産自動車、日本冷蔵、日本油脂)等(p130)