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summary

ゼロ戦と日本刀 美しさに潜む「失敗の本質」

ゼロ戦と日本刀 美しさに潜む「失敗の本質」の写真

・ゼロ戦と同時期に開発された米海軍のグラマン戦闘機は、旋回性能ではゼロ戦に劣っているが頑丈につくられていた、設計がシンプルで大量生産向きの機体であった(p24)

・アメリカの空母は、しっかりと守りを固めて余力があれば攻める。日本の巡洋艦はスペックは優れているが、実戦に出た場合には米軍の魚雷一発で沈んでしまう。(p28)

・名刀であったはずのゼロ戦は、開戦二年目で生産性に加えて質も落ちた。エネルギー、物資不足に加えて、アメリカ製の工作機械の消耗が進んだ。(p31)

・ドイツでは技術者、熟練工の兵役は免除されていた。また食料の供給がとまった軍隊(日本のように餓死者をだす)は日本以外には無い。(p33)

・ガダルカナル島から未帰還のパイロットは半分以上は撃墜ではなく、自ら墜落してなくなくなった、片道3時間の飛行が極度の疲労となった(p35)

・アメリカは一回出撃すると、次の出撃までは休暇がある。そのローテーションで数か月戦うと前線から引き揚げて後方勤務になるシステムであった、また不時着しても潜水艦や飛行艇によって救助されるシステムが完備(p36)

・戦場で230万人の兵士が命を失ったが、そのうち大正生まれ世代が200万人、大正世代の男子(1400万人)なので、七人に一人が死んだ。20代前半から中盤の男子に限れば、四人に一人(p39)

・ベトナム戦争も、2003年のイラク戦争もアメリカは宣戦布告をしていない。第二次世界大戦後にアメリカが宣戦布告をして戦争をした例はない(p71)

・輸送船団があっけなく沈められたのは理由がある、海軍による護衛任務の優先度が低かった(p78)

・アメリカでは戦争時には、勝負に強い人材が軍人として出世した、日本は平時の人事を変えられなかった(p99)

・貝殻(三浦海岸で見つけた貝を拾い集めて加工して売った)から始まって、のちに財を成したから「シェル」という会社の名前になった(p115)

・日清、日露戦争に勝利できたのは、当時の燃料である石炭が日本にあったから、ところが、日露戦争の10年後の第一次世界大戦では、エネルギー革命で燃料は石油になっていた(p117)

・1853年にペリーが来航して江戸幕府に通商条約の締結を迫ったのは、捕鯨船(鯨油をランプの燃料)の補給基地が欲しかったから。ドレイク大佐が油田をペンシルバニアで見つけたのはその6年後、それ以降、捕鯨産業は完全に衰退した(p131)

・放射能による被害を考えるなら、広島や長崎の原爆被害を参考にすべき。当時の放射線基準は福島原発の1800万倍、ところが死亡者の大半は、原爆の高熱で焼け死んだ焼死、建物の倒壊である(p156)

・石油の値段は輸送費が殆どなので、中東に近い日本は有利だった。アメリカや欧州は喜望峰を回る航路であった。スエズ運河を使っても大きいタンカーは通れなかった(p169)

・日本人は東南アジアの人々と戦争したわけではない、フィリピンを占領したアメリカ、ベトナムを占領したフランス、マレー半島を占領したイギリスと戦った(p215)