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[図解]関ヶ原合戦までの90日 勝敗はすでに決まっていた!

[図解]関ヶ原合戦までの90日 勝敗はすでに決まっていた!の写真

・山内一豊の妻の内助の功は、大阪の屋敷に身を潜めつつ、小山評定の場に、三成による人質作戦失敗の報をもたらせたこと(p43)

・前田利長は、大谷奇襲部隊の存在が幻とわかって9月12日に再び金沢城を出発したが、間に合わなかった(p74)

・織田秀信は、池田輝政に降伏した、敗れた三成も大垣城へ撤退することになり、大垣・岐阜城を結ぶラインで東軍先方部隊を食い止めようとする戦略が崩壊した(p82)

・安濃津城(伊勢の国)にいる富田信高は西軍(毛利など)の関が原進出を足止めした、ついに伊勢を平定することなく関が原へ向かうことになった(p85)

・田辺城にいる細川幽斉(忠興の父)は兵500で、西軍最精鋭といわれる立花勢をはじめ1.5万人の軍隊を釘付けにして本戦へ参加させなかった(p99)

・東西両軍が水面下で繰り広げた謀略戦こそが、実は関が原の合戦の真の意味での前哨戦であった(p114)

・関が原の合戦の結果、東国の家康が勝利を収めたので、米が銀に勝った。そのため従来の貫高制ではなく、石高制を基盤とした国家体制となり、農民に対する過酷な搾取を基本とする農本主義となった(p140)