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summary

日本の怨霊

日本の怨霊の写真

・藤原氏の戦略に都合の悪い制度があった、当時は一夫多妻制の皇室であったが、そこにはルールがあった。后一員、妃二員、夫人三員、嬪四員、后と妃は皇族出身、夫人は三位以上、嬪は五位以上が条件であった、この制度を変えさせようとする藤原氏と、長屋王に何等かの対立があったのかもしれない(p19)

・死後三年目というのは、土葬の場合、白骨化する。仮埋葬の形で葬る「埋め墓」と、その後に本埋葬する「本墓」は、瀬戸内海地域で広く行われていた葬送習俗であった、三年経過しても死にきれない者が霊となってこの世に舞い戻ってくるというのが、怨霊三年目出現の理由であろう(p26)

・驚きびっくりすることを「たまげる」「たまげた」と表現するが、これは「魂消る」「魂消え」、魂が体から抜け出た状態を指す言葉からきている(p31)

・即位後、桓武天皇になった彼が、奈良の都を捨てて、長岡京、平安京へと遷都していったのも、通説では東大寺を中心にした仏教勢力を敬遠し、天武系に染まった都から脱出するためといわれている、また伊勢神宮からも遠ざかる(p89)

・主人公の光源氏が都で犯した罪を贖うために、須磨・明石で謹慎生活を余儀なくされたのと同じ発想であるのは、奈良の都から大和国うち郡に幽閉されたのと似ている。須磨・明石は、大化の改新で都の西の境と設定された地である(p95)

・阪神大震災の1日前の夜(1995.1.16)、NHKの画像が酷く乱れて波が幾重にも重なっていた、夕方小さな地震があった(p116)

・空はいつも冬の夜明けと違って、異様に重い色に閉ざされていた。空は暗紅色や紫色に色分けされて、鈍く澱んでいた、淡路島の早良親王の怨霊が怒ったのか?(p117)