・数年前にクロマニヨン人は言葉を発した、そのため動物や昆虫と異なり、無限ともいえる情報を伝えられるようになった。音声の誕生により人類は文明を急速に発展させることが可能になった、更に数千年前から文字を使うようになった。文字と音声の決定的な違いは、情報の蓄積量にある。15世紀のドイツにおいて印刷が発明され、文字は一般の人々が読むものに変わっていった=グーテンベルク革命(p8)
・ポストアメリカを議論する人は、近代世界システムがまだつづくという前提(= 持続的経済成長 )に立っている、現在は未開拓の土地はなくシステム前提が揺らいでいる(p11)
・文字ではなく音声によって世界が結び付けられるようになり、その中心がアメリカであった、電話はアメリカのソフトパワーとして機能し、ヘゲモニーを握る点で役だった(p13)
・19世紀にイギリスがヘゲモニー国家となったのに重要なツールとなったのは、電信であった(p21)
・オランダが正式に国家として認められたのは30年戦争の講和条約である、ウェストファリア条約(1684)の時、これは今日まで続く主権国家体制が認められた条約、さらには、スウェーデンが神聖ローマ帝国議会への参加権を得た、つまり北欧が正式に欧州国として認められた、そして現在の西欧の輪郭が誕生した(p24)
・オランダは活版印刷技術、イギリスは電信、アメリカは電話を利用して、ヘゲモニーを握ることができた、推移していったのは、そのつど、彼らのもとに比較的正確な商業情報が集まったから(p28、31)
・現在でも、ウォール街の取引高はシティよりお大きいが、外国との取引はシティのほうが大きい。それはアメリカ国内経済規模が大きいこともあるが、イギリス経済がいかに世界経済と、いまなお強く結びついているかを示している(p33)
・文書で通信するには、商人が文字の読み書きができる必要がある、ハンザ商人は文字を書けなかったので、12世紀中頃までは聖職者が代行していた。14世紀ころには、ラテン語に加えて、ドイツ北部で話される低地ドイツ語を書くようになった、これにより聖職者の地位の低下が商業界においても見られた(p41)
・グーテンベルクの活版印刷革命により、修道士が書物を筆写するという仕事の意味はほとんどなくなった、修道院における「祈りかつ働け」の「働く」ことのなかで筆写の占める割合は極端に小さくなった(p47)
・カトリックとプロテスタントの最大の相違は、前者が救済は神によってローマ教会を通じて与えれるとしたのに対して、後者は神の救済は、直接個人に与えられるとしたこと。但しこれは教義の相違であり、信徒がそのことをどこまで理解していたかは別の問題である(p48)
・宗教改革者は主としてラテン語でパンフレットを書いた、国際的な議論をするには当時の欧州の共通語の使用が必須であった、しかし彼らは、それぞれの国語(俗語)に自分たちの作品が翻訳されるのを嫌がらなかった、ルターのようにラテン語の聖書をドイツ語に訳した人もいた(p53)
・アントウェルペンには、ジェノバの商業技術が受け継がれていたので、ジェノバ→アントウェルペン→アムステルダムと、商業技術の伝播があった、さらにアムステルダムで活発に取引をしていたのはケルン商人などの外国商人であtったことから、アムステルダムがハンザの商業技術を導入していた可能性が高かった(p68)
・当時のインドとイタリアの経済力はインドの方が上だったが、少なくとも商業書簡という商業慣行においてはイタリアの慣行、ひいては欧州の慣行を押しつけることに成功した、欧州のソフトパワーがアジアの経済力に対して勝利していった、商業書簡の書き方の規則を守っていれば、初めて手紙を出す商人も比較的簡単に仲間として認めれもらえた、これによりネットワークが広がっていった(p76)
・欧州が暴力的手段を用いて支配地域を拡大し、その結果、商業空間の拡大をもたらしたのは事実であるが、同時に、商人独自の活動で欧州の商業空間が拡大していったことも忘れてはならない(p77)
・近世の商人は、いつ情報が届くかわからない不安定な状況の中で、商業に従事していた。それが変わったのが、電信の発明と、蒸気船の登場であった。船舶がいつ着くかということが、かなり予測可能となり事業展開に必要な時間が大きく短縮されるようになった(p79)
・ポルトガル海洋帝国は、商人の帝国、であった。ポルトガルの植民地のいくつかが、オランダやイギリスに奪われたのちも、18世紀末に至るまで、ポルトガル語は、アジアでもっとも頻繁に話された欧州言語であった(p85)
・ナポレオン軍が強かった理由の一つは、情報通信技術が発達(腕木通信)していたからに他ならない。戦争の際、手旗信号を使って、最前線での情報を最寄りの腕木通信基地まで送信し、さらにその情報を腕木通信で送信していた、問題は、通信塔に常時人間を待機させなければならない、悪天候には使えないこと。1846年に、フランス政府は腕木電信を、電気式電信ラインに切り替える決定をした(p91-93)
・大西洋世界の経済に参加する方法は2回大きな変化をとげた、最初は印刷機が事業に使用されるようになって、次が電信であった(p93)
・19世紀末、電信は世界を変えた、均質の商業情報がどこでも同じような価格で、タイムラグなく入手できた。電信によって初めて、人類が動くよりも速く情報が伝わるようになった、電信の8割はイギリス製(p95、98)
・イギリスをヘゲモニー国家にしたのは、工業製品の輸出ではなく、貿易外収入であった(p121)
・1870年にイギリスは世界第一位の工業国家でなくなったが、世界最大の海運国家、イギリス船で輸出されたり、イギリスの保険会社ロイズで保険がかけられた、イギリスは困ることはなかった(p123)
・1783年のパリ条約によりアメリカが正式に独立すると、それまでイギリスの保護下にあったが、突如として世界の荒波にもまれることになった。しかしフランス革命、ナポレオン戦争により、中立という立場を利用して世界二位の海運国になった(p134)
・アメリカで発達した電話は、電信ほどの革新性があったかは定かでないが、日常生活にまで浸透したという点でコミュニケーションの歴史上画期的な出来事(p135)
・1893年から電話の設置数が増えているのは、1893-94年にベルの特許の主要部分の期限が切れたため、新たな独立系電話会社が創設されたから(p146)
・電話はアメリカの女性に新しい職業を提供した、電話の交換手は、女性が社会進出するための数少ない職業の一つであった(p150)
・電話がアメリカの家庭で頻繁に使われた以上、活版印刷技術や電信よりもはるかに生活面の影響は大きかった(p154)
・イギリスの例外は、1)18世紀の時点で、イングランド銀行が国債を発行、その返済を議会が保証する、2)航海法に代表されるように、海運業の発展を国家が促進、3)大西洋経済における綿生産システムの形成(p195)