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「本能寺の変」は変だ! 435年目の再審請求 (文芸社文庫)

「本能寺の変」は変だ! 435年目の再審請求 (文芸社文庫)の写真

・何年も後になって書かれた本に初めて出てきた話に信ぴょう性があるケースは次の3つ、1)当事者が後になって書いた、2)後になって、当事者から取材した人物が書いた、3)信ぴょう性ある本から引用して書いたが、元の本は消失して現存しない。そして120年後となるとあり得るのは3)のケースのみ(p30)

・歴史捜査を始めるにあたって「答」は想定せずに、仮説は2つ設定した、1)失敗すれば一族滅亡してしまう謀反を決断するのだから、謀反を起こさなければ一族滅亡するという危機意識が存在しなければならない、2)謀反が成功する目算が存在しなければならい、これらは企業人には当たり前の論理である(p78)

・光秀と義昭、あるいは毛利氏とが事前に接触した証拠がまったくない、このことから足利義昭黒幕説にも冤罪説と同様に実行経緯、すなわち犯行プロセスに重大な欠陥がある(p79)

・すでに50代に達していた正親町天皇も皇位を譲りたかったので、天皇側から譲位の資金援助に信長に申し入れた、これが朝廷黒幕説では「信長が天皇に譲位を迫った」と解釈している(p86)

・利休切腹が第一次朝鮮出兵への動きが本格化した時点で起き、関白秀次切腹事件が秀次の朝鮮出陣準備が進められていた時点で起きたことをみれば、やはり唐入りがからんだ事件とみるべき、おそらく二人とも反対する言動があった(p1・秀吉は本能寺の変の勃発を事前に知っていたことになる、それを知らせることができる人物は細川藤孝しかいない(p159)

・信長は家康を本能寺へおびき出して光秀に打ち取らせる計画をたてた、その計画を光秀にだけ内密に相談した、それを知った光秀は信長も信忠も打てると確信した、しかもこれを家康にうちあければ家康にとって光秀は命の恩人となる(p163)

・道三に追われて美濃守護職を失った土岐氏は江戸時代に上野沼田藩の藩主となって復活する、家康の家臣の菅沼貞政が家康から大名に取り立てられ、土岐姓を与えられ明治まで続き華族となった。家康は明智氏を復活させると同時に、明智姓ではなく土岐姓を名乗らせた。これは明智氏が土岐姓の正統を継承したことを意味する(p170)

・横浜に三溪園という庭園がある、その庭園を造った実業家「原三溪」も土岐一族である、道三に追放された美濃守護の弟で道三に暗殺された人物の子孫である(p173)16)

・有名な信長の「是非に及ばず」とは命令したこと、さらに、この言葉を発した後に「直ちに御殿へ移って戦闘態勢をとった」ことから、「なに、光秀の謀反らしいと?それが是か非か(本当かどうか)確認する必要はない、それよりも即刻戦え」という意味で森乱丸に命じた(p127)