suu3.jp 戻る

summary

太平洋戦争と銀行 なぜ日本は「無謀な戦争」ができたのか (講談社現代新書)

太平洋戦争と銀行 なぜ日本は「無謀な戦争」ができたのか (講談社現代新書)の写真

・半年や1年であれば「今あるもの」で戦えば良い、 軍事力の勝負である。ところが2年や 3年となると「 作りながら戦う」ことになる、戦いは経済力の勝負に変質する(p26)

・ 長期総力戦 では資源があろうがなかろうが、 とにかく 付加価値の生産(フロー)を増やさないといけない、生産された 付加価値のうち 国民生活の維持や資源の輸入に消費された残りが、戦争遂行に使われる (p39)

・空母機動部隊同士の 日米決戦とも言うべき 昭和19年6月のマリアナ沖海戦で海軍は 出撃した空母9隻のうち三隻、 飛行機 439期のうち9割近く 378 基金を失うが、 米国にはほとんど 被害がないという大敗北を喫する。 翌月には サイパン島 も 陥落し 東條英機内閣は倒れた、 そして 11月にはそこを拠点に B 29の日本 本土空襲が始まった(p61)

・10月に フィリピン レイテ島に侵攻してきた 米軍に対し 陸軍が決戦を挑む、 海軍も残った ほぼ全兵力をフィリピン 方面に投入した、圧倒的な米軍の 物量を前に なす術もない、 昭和20年 正月早々 陸軍 部隊の一部がマニアから撤退して期待へ移動する、 大本営では本土決戦を前提とした兵備増強改革を練っていた(p61)

・米英両軍は1945年11月に九州南部、 翌年3月に南関東への上陸作戦を計画していた、 特に 南関東への上陸は 東京 制圧を狙ったもので 日本は中央集権体制下での戦争継続が事実上 不可能になる (p64)

・本土決戦 となり目の前で 戦闘が行われている状況では、 軍令も 軍政もない、 中枢がやられても 各地方はそれぞれ独立した単位として戦闘継続を可能とするために、 軍令と軍政を一体化した、ただし 軍令は軍政に優先した(p64)

・スターリンが1944年11月のロシア革命記念日の演説で日本を侵略国と呼び、 昭和20年2月下旬からは極東方面の兵力を増強し、 4月5日にはソ連 政府は「日ソ中立条約」を昭和21年4月に破棄する旨を通告していた(p71)

・昭和6年12月に勅令で 日銀券の金兌換は停止となり、 昭和17年2月の日本銀行法の公布で、日本は法的にも金本位制から脱却した。 日本は 昭和12年から20年の間に、内地で171トン、 朝鮮で169トン、 リサイクルで103トンのゴールドを調達した (p80)日本は採算を度外視して、産金に努めたが、昭和18年以降は労働力不足で低下した(p160)

・1944年6月のノルマンディー上陸作戦 以降 ドイツの敗北は規定路線となった感があった、 東部戦線でもソ連軍が「バグラチオン作戦」と銘打った、 パルコ 三国から ウクライナまでを面として押し返す 大規模構成を始めた、映画にもなって ノルマンディー上陸は史上最大の作戦 として有名だが、規模としては バクラチオン作戦の方が大きい、 1943年10月に 三国同盟を離れたイタリアは、ドイツに宣戦布告している(p103)

・中国での金の市場価格は 終戦前の約1年で45倍以上に膨れ上がった、 しかし 終戦の翌月には5月に比べて 約20分の1に 急落した、 もちろん 終戦直後の日本による金塊売却が市場価格の低下を促したことに違いない、外資 銀行通じて借りていた日本の戦費の実に 95%( 5228億円の中の4978億円 )が金の売却で瞬時に精算された (p159)

・戦時国債は召喚や 新規国債への借り換えを経て、 借り換え分の国債も 1972年度に償還を終えた、戦争中に 政府は外資金庫や 正金銀行からも借りていた、 これは返済されないまま借入先の外資金庫と正金銀行は閉鎖された、 つまり返す相手はなくなった ので 返済 もできず、 今でも旧臨時軍事費の借入金残高 414億円として残ったままになっている(p252)

・ 日本長期信用銀行はコード 成長期には 設備投資資金を提供することで 産業界に大きく貢献した、 しかし バブル期の不動産融資が不良債権となり 経営が行き詰まる、国有化、 外資投資組合への売却を経て、2000年6月に新生銀行と名称を変え、 2004年4月には普通銀行に 転換、 2021年12月に、 SBI ホールディングスの子会社 となり、 SBI 新生銀行に2023年1月に名称を変更している(p254)

・横浜正金銀行は、 貿易金融・ 外国為替を専門とする特殊銀行 だったか 終戦により 海外資産 を喪失し、正常な営業 継続ができなくなり 普通銀行に変わった。不良資産や生産不能 債務を切り離した勘定を基に、 1946年12月に東京銀行が創立された、東京銀行は 外国為替 専門 銀行として日本の経済成長とともに 国際金融の舞台で存在感を高めた、 1996年4月に三菱銀行と合併し 現在の名称は 三菱ufj銀行である (254)

・国際決済銀行(BIS)設立時における日本の地位は、 第一次世界対戦の戦勝国という 軍事力で得たものだった、戦後の日本は経済力を糧に再び国際金融の舞台へ戻っていく。 1952年8月に国際通貨基金 (IMF)・世界銀行に加盟する、 1962年10月に設立された10カ国財務大臣・ 中央銀行総裁会議では日本は欧米以外からの唯一の参加国 であった、 1970年に日本は BISの株式を取得し 1994年には理事国に復帰した、ただし 出資国の中央銀行総裁から選ばれる 任期 3年の「選任理事」であり、 かつてそうであった「 職権理事」ではない(260)