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涙がでるほど心が震える すばらしいクラシック音楽

涙がでるほど心が震える すばらしいクラシック音楽の写真

先日大阪に住む伯父のところに遊びに行った時、クラシック音楽の好きな伯父から紹介された本です、読み終わったということでプレゼントとしていただきました。この本の著者、車田氏は声楽家として活躍していますが、彼が選んだ10人の音楽家について、面白いエピソードと共に紹介しています。

特に印象的なのは、作品の説明と合わせて、各々の音楽家が活躍した時期にどのような歴史上の事件があったのか、彼らがその時に出会っていたかどうか、どのような関係であったかについても紹介しています。

現代の私たちから見れば、ここで取り上げられた10人は皆、偉大な音楽家ですが、彼らが活動した時代には、お互いに、先輩や後輩、大音楽家と駆け出しの音楽家という関係もあり、その関係性は、この本で初めて私は知ることができて、とても新鮮な情報でした。

以下は気になったポイントです。

・ 音楽にはたくさんの魅力や大切なことがある、 その一つが「 音楽は心のコミュニケーションである」ということである。 作曲家は自分が感じたことを音に、 その感じたことが 演奏家を通して聴衆に届けられる。 その時そこでは 化学反応が起こる、 聞き手は様々な感情を受け取ることで多くの刺激を受ける。 それによって聞き手の心の中には様々な感情が巻き起こり、 やがて 自分自身との対話へとつながる、 人によっては そこから 空想の世界へ羽ばたいていくことも可能である(p5) もう一つは音楽が自由な心の世界へと行くための入り口であり ツールである。音楽を聴くということは様々な感情を受け止めるということでもあるが、 聞き手の心の状態は そうした感情を受け止めたことによって絶えず変化する。 そして頭の中には様々な考えが巡っていき、場合によっては 様々なストーリーが浮かんでくる。音楽を聞いた時 僕たちは空想の世界・創造の世界へと羽ばたくことができる(p9)

・バッハは今でこそ大作曲家として知られているが、 当時の教科は 、ヘンデル・ テレマンと比べて 決して高いものではなかった。 どこかのポストが空白になってもバッハが後任の第一候補に上がることはほとんどなかった、 大卒でなかったバッハは悔しい思いをしていた(p35)

・バロックとは 装飾が多くて豪華なことを批判する意味で使われ始めた。 和声が混乱し 転調と不協和音に満ちて、 旋律が 耳障り、かつ 不自然、 抑揚が難しく動きが不自然な音楽と 定義された(p59)

・モーツァルトは万能な作曲家であった、 オペラ から 交響曲・宗教曲・ピアノソナタ・ 弦楽四重奏まで、ほぼ全てのジャンルにおいて 傑作を残した。これは音楽史で考えても 特筆すべきことである、 これほど 万能だった作曲家はおそらく 他にはいないであろう(p83)

・モーツァルトのレクイエムは14曲で構成されているが モーツァルトが一人で完成させることができたのは最初の1曲だけ(p96)

・ソナタ形式は3つの部分でできている、 最初の部分を提示部、 中間を展開部、 そして最後を再現部などと呼ぶ。 提示部では2種類のメロディーが登場しそれが 再現部で再び現れる。 こうした ソナタ形式は、 洗練された美しい形式で 古典派の特徴になっている 。交響曲や 弦楽四重奏の形を作ったハイドンは、 交響曲の父 または 見学 四重奏曲の父と言われることもある。 交響曲は ハイドン から教えを受けた ベートーベンによって 完成の域に達した。 そして、シューベルト・シューマン・ブラームス・ マーラー・ チャイコフスキー・ シュースタコービッチに至るまで 数多くの作曲家がベートーベン たちを手本にして 交響曲に挑戦した(p105)

・ベートーベンの銅像は彼の生誕75周年を記念して 1845年に建てられた、 ベートーベンがなくなって約20年後のことである。 記念碑のための資金集めをしたが難航した、 それを知った一人の作曲家が協力することになる、 それがリストである、彼はそのために積極的に多くの 演奏会を開き建設資金の1/4 近くを寄付した、 またシューマンも「 大 ソナタ」を出版し、その収益を建設資金として寄付している(p111)

・ 宮廷 オルガニストも勤めていたネーフェは 、ベートーベンにバッハの「平均律クラヴィーア 」を課題として与え、まだ11歳だった ベートーベンをアシスタントに指名した。 この頃のベートーベンの評判は非常に高いもの で「第2のモーツァルトになることは間違いない」と評されることであった (p116)

・18歳の頃のベートーベンは、古典派を代表する作曲家 ハイドンと出会うことになる。 ハイドンがロンドンへの旅行の途中、 ボンに立ち寄ったことをきっかけに、 ベートーベンはウィーンのハイドンに師事することになる(p118)

・ ベートーベンの音楽は耳が聞こえなくなるにつれてより雄弁になっていく。 ベートーベンは自分が言いたかったことを 音楽の中で雄弁に語った、 ベートーベンの音楽には様々な思いが残されている。 そうした思いに耳をすませると彼が決して人前では見せることがなかった姿が少しずつ見えてくる(p127)

・ シューベルトの才能は、オーケストラの指揮者に「彼は全てを神から授かっている」と言わしめるほどであった。 最終的には 宮廷 楽長のサリエリがシューベルトの作曲の指導を引き受けた。 サリエリ は ベートーベンを教えたこともある人物であったが、 彼は貧しい 音楽家からはお金を取らずに教育する熱心な指導者であった、サリエリとシューベルトの関係は シューベルトが学校を卒業した後も続いた(p155)

・ 歴史に名を残した作曲家たちは間違いなく 天才と呼ばれる 部類に入る 偉大な人物であるが、 その中でも特に「天性」というものを感じさせる作曲家は2人いる。 モーツァルトとシューベルトである、 人が努力では到達することができない境地に達していたと言えるからである。この2人は、 洞察力・ 想像力( もしくは創造力) が大きく関係している。この二人は その能力でもって、 凡人にはそう簡単に見ることができないようなものを容易に見ることができた(p169)

・ レコードが出たことによって様々な手を加えて最高の1枚を作るようになった、この様にしてできた 録音は 最初の音が鳴り出したら最後まで 止まらずに進んでいく という それまでの音楽のあり方とは大きく異なるものとなった。 録音の 恩恵は非常に大きく 録音には録音の素晴らしさがあるが、同じ音楽でありながら生の演奏とはいくらか 質が異なる音楽である。生の演奏では音が鳴り出した瞬間から 、感情のエネルギーが終わりに向かって 途切れることなく流れていく。このエネルギーを体験することが生演奏の醍醐味である 、実際の 楽器や歌声の響きは生演奏でしか味わえない(p190)

・ シューマンが活躍した時代はロマン派の時代と呼ばれている、ベートーベン やシューベルトの晩年には ロマン派の兆しは見えていたが、 ロマン派の時代がやってくるのは シューマンからである。 この時代には多くの作曲家が誕生しそれぞれが歴史に足跡を残した、シューマン・ ショパン・ メンデルスゾーン・リスト ・ワーグナー・ ヴェルディの年齢は5歳と離れていない(p212)

・ シューマンは「 詩人の恋」 に代表される ドイツ歌曲において、 シューベルトの後を継ぐ 存在となった。シューベルトは 詩の世界観をシンプルな伴奏とメロディーで美しく表現したが、 シューマンの歌曲はもっと 雄弁である、 言葉で表すことができない感情を ピアノパートが引き受ける(p219)

・弦楽四重奏 はシューマン 以前はコントラバスを入れた編成も見られたが、 シューマン以降は、 ピアノ・ 2つのバイオリン・ ビオラ・ チェロが定番となった (p225)

・ロマン主義とは、 古典主義・ クラシック と対をなす言葉として使われるようになる、理性よりも本能、 形式よりも想像力、 頭よりも心を重視する考え方 である。 古典主義 のような形式に頼らずに、心にある本能的な要求を表現したいという考えである、 そうした背景には 社会的に抑圧されてきた 心を解放したいという欲求がある(p227)

・ バッハや ベートーベンと言った作曲家たちは、 音楽を用いてある種の 精神的な高みに到達することを目標にしていた、 しかし パガニーニ やリストが目指したのは、目の前にある楽器の性能を最大限に引き出すための高い技術の追求であった、 その結果 誕生した曲の1つが「 ラカンパネラ 」 である (p230)

・リストとワーグナーはブラームス より約20歳年上の ロマン派を代表する作曲家である。リストとワーグナーはそれまで の形式から いち早く脱却しようとした作曲家である、リストは 交響曲に変わって 交響詩と呼ばれる ジャンルを作り上げた、 ワーグナーはオペラを楽劇と呼び、音楽によるドラマ性を重視した 。ブラームスはこのような 新たな動きを作り出そうとした2人に対して はっきりと反対の意思を示した、 ブラームスが目指した音楽とは、2人のような ロマン派の音楽ではなくベートーヴェンのような 古典的な音楽であった。リストも ワーグナーもブラームスを 優れた若き音楽家と評価していただきにこの態度に憤慨してしまった、 この後のヨーロッパの音楽界は、 ブラームス 派とワーグナー派に分かれていくことになる(p245)

・ クラシック音楽の歴史において数多くの作曲家が誕生したがその中でも大作曲家と呼ばれるためには、2つのジャンルにおいて成功する必要があった。それは、 交響曲・ オペラである。 共通するのは スケールが大きく 演奏時間がとりわけ 長いということである、 この2つを作曲するためには 作曲家としてかなりの技量を必要とする。ベートーベンはピアノソナタを作曲してから、それを 弦楽四重奏で応用し、オーケストラのための 交響曲へと拡大させた。そのように準備をしてようやく 書かれた 交響曲であった。オペラは 交響曲のように形式的な決まりは多くないが、そこには台本があり 言葉と音楽を結びつけるという仕事がある、 その長さは 交響曲の3倍以上にもなる(p291)

・ ロシア正教の音楽では楽器の演奏が禁じられているため、 全てが アカペラの合唱によって歌われる(p353)

・くるみ割り人形はチャイコフスキーバレー 音楽を代表する作品の一つで、 白鳥の湖・ 眠れる森の美女 と 並んで、 3大バレー曲 と呼ばれている(p357)

・歯が悪かった シャリアピン は、柔らかい肉が食べたいと要望し それに応じた帝国ホテルの料理長が肉料理を考案した、肉を 柔らかくするために 牛肉を叩いて すりおろした玉ねぎに漬け込んだステーキを作った、 これが「シャリビアン・ ステーキ」と呼ばれ、 さらに 玉ねぎのみじん切りのソースを、シャリピアン・ソースと呼ぶようになった(p386)

・ ラフマニノフは、 ピアニスト・ 指揮者・ 作曲家の3つの分野 全てで成功を収めた。 その性格は、家族や友人たちの前では温厚で寛容な人柄であったが、音楽においては一切の妥協を許さない 非常に厳格な人物であったことで知られている(p394)

・音楽の演奏において確かにミスをしないに越したことはないが、 それよりもはるかに重要なことがある。 それは感情を伝えるということである、音楽は最初の音が鳴った時から 最後の音に向かって止まる ことなく流れていく。 その音楽の流れが強ければ強いほど、 エネルギー・ 勢いがある演奏として 聴衆に届く(p412)

・ピアノとオーケストラとの大きな違いは、 音を伸ばせるか伸ばせないかにある。ピアノの場合は一度 音を鳴らしたら 消えてなくなってしまう、しかし 管楽器や 弦楽器は音を伸ばすことができ、 伸ばしてる間にクレッセントしたり リ クレッセントしたり、 または ビブラートのかけ方を変えたりと様々な表現をすることができる(p441)

・ 音楽は何のためにあるのか、 音楽とは感情の表現である。 聴衆はその感情を受け止めることになる、 そして感情を受け止めることで 聴衆の心も 何かしら 変化することを余儀なくされる 、大事なのは 受け止めた後に、自分の心もしくは 頭の中にどのような世界が広がっているかである、 そこはその人の自由な世界である。 聴衆には音楽を聞いて心の中で物語を空想する 自由がある。 音楽を聞いた時の心の変化を感じることが大事である(p442)