本書は、養老孟司氏と内田樹氏が、インターネット、政治、言語、身体、自然、災害、地域社会、経済などをめぐって語り合い、現代日本人が何を失い、どこへ立ち返るべきなのかを考える対談集である。二人の専門や語り口は異なるが、効率や便利さを優先してきた社会が、人間の身体感覚、自然との関係、地域の多様性、成熟した市民性を弱めているという問題意識は共通している。
内田氏は、ネット空間の劣化について、巨大プラットフォーマーの収益事業になったことが大きな転換点だったと指摘する。2000年代初めまでは、ネットの利用者として常識と成熟を備えた市民が想定されていた。しかし2020年代になると、利用者が冷静で賢明であるよりも、愚鈍で感情的に反応する方が事業として収益を上げやすい仕組みへ変化したという。制度が人間の成熟を支えるのではなく、人間の弱さや未熟さを利用する方向へ進んだことを、内田氏はネットの「堕落」と捉えている(P60)。
政治の変化についても、内田氏は2008年頃を一つの転換点として挙げる。橋下徹氏がテレビで知名度を得て大阪府知事に立候補した時期、日本だけでなく世界的に政治の潮目が変わりつつあった。市民が自分たちより知性や品性に優れた「選良」を代表に選ぶのではなく、自分たちと同程度の人物こそ代表にふさわしいと考える新しい論理が成立したというのである(P83)。これは、民主主義が成熟した市民による自己統治ではなく、親近感や同質性を競う仕組みへ変質したという内田氏の分析である。
内田氏は、メディアが人々の職業観にも影響すると述べる。テレビドラマに登場しやすい職業を調べると、警察官、会社員、医療人、教師、探偵、弁護士などが上位を占め、ドラマになりやすい職業と子供たちが将来就きたい職業には相関が見られるという。一方、新聞記者やテレビ関係者自身はランキングに入らない。人々の職業選択や社会認識が、実際の仕事の価値だけでなく、物語としてどのように提示されるかに左右されていることを示す指摘である(P111)。
結婚について、内田氏は、結婚相手に求める条件が高くなり、複数のハードルを越えた相手としか結婚しなくなったと語る。しかし、結婚後は配偶者を加点ではなく減点方式で評価するため、暮らしを重ねるほど欠点ばかりが見えるようになるという(P136)。ここには、相手を条件で選別し、関係を時間をかけて育てる力を失った現代人への批判がある。
言語について内田氏は、新しい考えを新しい言葉で語るためには、母語を広げたり、ねじ曲げたり、無理をさせたりする必要があると述べる。そのような創造的な無理が可能なのは、身体に深く根づいた母語だけである(P169)。さらに、能の謡などで生じる倍音について、声量や節回しの問題ではなく、臓器、骨、筋肉など身体の複数の部位が同時に振動し、互いに干渉することで生まれると説明する。倍音が聴く人の身体にしみ込むのは、言葉や声が単なる情報ではなく、身体から身体へ伝わるものだからである(P172)。
養老氏の議論の中心には、自然と身体を無視する社会への警告がある。養老氏によれば、30年前と比べて虫の種類ではなく個体数そのものが3割から7割減っている。虫の減少が進めば植物が受粉できず、実を結ばなくなり、食料や生態系に重大な影響が生じる。これは自然環境の変化を、人間社会から切り離された問題として考えてはならないという警告である(P205)。
災害について養老氏は、南海トラフ巨大地震を例に、日本人は悪い予測やシミュレーションを真剣に受け止めない傾向があると批判する。地震学者の尾池和夫氏が2038年という時期を示し、政府も2040年までに高い発生確率を示しているにもかかわらず、政治家、メディア、専門家を含めて十分な議論や備えがなされていないという(P214)。年次や確率については養老氏が紹介する見解であるが、重要なのは、悪い情報を見ないことにして問題を先送りする日本社会の姿勢への批判である。
地域と言葉について、内田氏は「関西弁」という均一な言語は実際には存在せず、岸和田弁、泉州弁、河内弁、播州弁など、多様な地域言語が存在すると述べる。兵庫県には明治維新以前、大小30を超える藩や領域があり、それぞれが住民にとっての「国」であった。現在の都道府県や「関西」という区分だけでは、地域が持っていた歴史的・文化的な多様性を捉えられないという指摘である(P220)。
養老氏も、歴史を自然災害との関係から捉え直す。豊臣秀吉が徳川家康を排除できなかった理由について、秀吉方の大名の領地が地震被害を受け、多くの家臣を失ったため、関東攻めの先鋒を担えなかった可能性を挙げる。歴史は英雄の意思だけでなく、地震などの自然条件によっても動かされるという見方である(P228)。
地域社会への回帰についても、二人は単純な理想論を採らない。内田氏は、地方移住者が農業だけでは十分な現金収入を得られず、子供の教育費や医療費を賄えないため、離農して会社員へ戻る例を挙げる。食料を自給できても、現代社会で暮らすには現金収入が不可欠であり、地方移住を持続させる制度や仕事が必要である(P238)。
経済について養老氏は、日本の輸出がGDPに占める割合は約15%である一方、個人消費は約6割を占めると述べる。トランプ関税が大事件として報道されても、日本経済全体の構造を理解するには、輸出だけでなく国内消費の大きさを見る必要があるという指摘である(P242)。これらの数値は養老氏が対談中に示したものであり、経済政策の評価そのものよりも、報道される出来事の大きさと実際の経済構造を区別する重要性を説いている。
本書で内田氏は、言語、政治、メディア、共同体の変化から現代社会を論じ、養老氏は、身体、自然、災害、歴史、経済の構造から日本社会を見直している。二人に共通するのは、人間を情報や数字だけで捉えず、身体、土地、自然、歴史、言葉の中に置き直そうとする姿勢である。本書が示す「日本人が立ち返る場所」とは、過去を懐かしむことではなく、抽象化と効率化によって見失った現実の手触りを取り戻すことだとまとめられる。