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日経平均10万円時代に備えろ

日経平均10万円時代に備えろの写真

本書で藤野英人氏は、日経平均株価が2033年を待たずに10万円へ到達する可能性があると予測する。しかし、本書の主眼は株価上昇を楽観的に語ることではない。著者が強調するのは、日経平均10万円時代はインフレ、AI、産業構造転換、資産格差の拡大を伴う可能性が高く、個人がどのような選択をするかによって未来は大きく異なるということである(P4、P6)。
株価上昇の背景として、著者は日本企業の収益力と資本効率の改善を重視する。ROE(自己資本利益率)が8%を超えると、ROEの高さとPBR(株価純資産倍率)の高さに相関が見られ、企業が継続して資本効率を改善することが株価上昇につながると説明する(P30)。また、日本市場のPERは2000年頃を境に米国とほぼ同水準へ収斂しており、1989年のバブル期の株価は企業利益の裏付けを欠いていたが、近年の株価上昇は利益成長を伴う点で当時とは異なると著者は分析する(P81)。
日本経済では、生産年齢人口の減少が長く続いてきたにもかかわらず、女性やシニアの就業拡大、外国人労働者の増加によって労働力不足が補われてきた。しかし、女性とシニアの参加率上昇には限界が近づき、円安によって日本で働く魅力が低下すれば外国人労働者の確保も難しくなるため、人手不足は今後一層深刻になると見る(P95)。
一方、インフレは企業利益と株価を押し上げる要因になる。株価は一株利益(EPS)と市場評価(PER)の掛け算であり、インフレによって企業利益が増えれば株価も上昇しやすい。さらに著者は、今後はデフレ時代とは異なり、人材や設備などを保有する「持つ経営」が価値を持つようになり、大企業に有利な環境になると考える(P102、P103)。
AIの進展も産業構造を大きく変える。著者は、AIに代替されにくい分野として、人間の知恵や感性、遊びやわくわく感を提供する産業を挙げる。観光、エンターテインメント、アニメ、コンテンツ産業などは、人間らしさそのものが価値となる「AIレジスタント企業」の有力分野であり、製造業、ロボット、半導体製造装置、精密技術にも引き続き可能性があるとする(P109)。2025年にはエンターテインメント産業の時価総額が自動車産業を上回ったとして、これを日本の産業構造転換を象徴する出来事と評価している(P113)。
さらにAIは、ソフトウェアだけの産業ではない。膨大な計算を支える電力、データセンター、冷却設備、送配電網が不可欠であり、AIの競争力は「電力」と「データ」を誰が安定して確保できるかによって左右される。工場、物流、医療、交通など現場から継続的に高品質なデータを得られる企業も優位になる。著者は、この変化を「軽い経済」から「重い経済」への転換と捉えている(P129)。企業経営でも、従来の効率性最大化から、在庫、現金、調達先、生産地をある程度分散して供給を維持することを優先する方向へ変化している(P127)。
しかし、株価上昇とインフレはすべての人を豊かにするわけではない。資産を持つ人も物価上昇によって必ず幸福になるわけではないが、資産を持たない人は資産価格上昇の恩恵を受けられず、生活費上昇だけを負担する。そのため、日経平均10万円時代は資産格差が拡大する厳しい社会になり得る(P134)。デフレ期の株式投資が「資産を増やすための攻め」だったのに対し、インフレ期には資産価値を守る「守り」の意味が強くなると著者は主張する(P137)。
AIの恩恵についても同様である。企業利益や株価上昇としてAIの成果が先に表れるなら、その果実を享受するのは株式を保有する人である。株を持たない労働者は恩恵を受けにくい一方、自らの仕事がAIに代替される側に回る可能性もある。したがって、インフレとAI革命の双方に備える意味でも、一定の資産を株式として保有することが重要だというのが著者の見解である(P139)。
投資について著者は、短期的な価格予測ではAIに勝つことが難しくなる一方、「10年後にどのような社会を実現したいか」を考え、その未来をつくる企業を応援する投資は人間にしかできないと考える(P214)。伊藤忠商事、タイミー、技術承継機構などの企業を具体例として挙げ、非資源分野、労働市場データ、事業承継など、日本社会の構造変化を捉えた企業に注目している(P227、P259、P262)。これらは藤野氏自身の投資判断であり、将来の成果を保証するものではない。
本書の終盤では、日経平均10万円時代を生き抜くための個人の指針が示される。第一は、一つの会社に「所属」するだけでなく、仕事、趣味、地域、学びなど複数の場へ「接続」し、人とのつながりを広げること(P268)。第二は、AIが答えを大量生産する時代だからこそ、「何を問うべきか」を考える問いの設計力を持つこと(P270)。第三は、複数の収入源、居場所、学びのルートを持つこと(P273)。第四は、効率化によって生まれた時間をさらに仕事で埋めるのではなく、「持続可能な豊かさ」のために使うこと(P280)。第五は、一つの専門分野だけに閉じこもらず、異なる領域を横断してつなぐ「越境家」になることである(P285)。
本書が描く日経平均10万円時代とは、単なる株高の未来ではない。インフレ、AI、人手不足、産業構造転換によって企業や個人の格差が広がる中で、資産を持ち、人とつながり、問いを立て、複数の世界を越境できる人が価値を持つ社会である。著者は、未来を予測するだけでなく、望ましい未来を自ら選び、その実現に貢献する企業や活動へ資本と時間を投じる姿勢こそが、これからの時代を生き抜く鍵だと説いている。