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summary

巨いなる企て (4) (ミューノベルズ)

巨いなる企て (4) (ミューノベルズ)の写真

・徳川家康は、宇喜多家の内紛を利用した、宇喜多家の旧臣(4家老)を会津討伐に呼び寄せたので、関が原では宇喜多家は8万石(52万石中)が敵方に回ることになった(p67)

・当時、鉄砲は最も重要な軍需品であるが、関東・奥州では生産不能、6割は堺(三成の兄が奉行)、3割は近江(三成の領国)で生産され、両者ともに石田家の影響下にある(p77)

・徳川家康が天下人になるためには、1)大阪、堺、博多等の商業都市を支配下にする、2)上杉と毛利の失脚、である(p82)

・人を錯誤に陥れさせるには、三成の考えでは、1)大義名分、2)弘宣衆知(情報を経験をもとに選別)、3)象徴(事実よりも印象)、であった(p106)

・当時の黄金300枚は、米:5000石に相当する(p121)

・関が原を演出するにあたり、自分よりも小禄下位の大名には直接、上位の大名についてはその家老に働きかけた、つまり中堅実務者を結集したプロジェクトチームを形成した(p132)

・徳川側は、中老の一人(堀尾吉晴)は取り込めたが、二人の大老(宇喜多、毛利)、二中老(生駒、中村)、三奉行(前田、増田、長束)は取り込めなかった(p164)

・会津征伐の陣触れを家康が行ったとき、80余侯(1万石以上は240)が集まった(p171)

・会津征伐には、石田重家(三成の息子)を従軍させることにしたので、浪人たちを集めることができた(p175)

・会津征伐をたとえると、重役会で反対の強かった上杉常務罷免の件を、実力副社長が独断で裁決したようなもの(p176)

・当時の豊臣家は、240万石の大領地と数十の城郭、商業都市の権益、金銀山の鉱業権があった(p178)

・秀吉は、徳川家康対策として2つの軍事的措置を行っていた、1)東海道と東山道(真田幸村が徳川4万人を釘付け)には豊臣恩顧の大名を配置、2)奥州会津に上杉を配置して背後からけん制、である(p216)

・毛利家で2つに割れているのは、太閤に優遇された、「毛利秀元、秀包、安国寺恵」である、徳川派は吉川広家である(p248)

・石田は資金がなかったので、「金一両」とかいた陶片をつくらせて、世界最初の不換硬貨の発行者となった(p258)

・事業創造者は、総合調整者や設計者を兼ねてはならない、ましては実施者になってもいけない、これが大谷から石田へのアドバイス(p266)

・会津討伐から関が原の戦いとは、徳川副社長が起案した「上杉専務の解任」という通知の後に、「徳川副社長の罷免が常務会で決定した通知」が来たようなもの(p274)