・カノッサの屈辱で代表される、破門の威力は、破門された者と従来どおりの関係を続ければ、その者も破門され、キリスト教徒の敵とみなされる、という点にある。つまり、破門とは、社会からの全面的な追放を意味した(p13)
・カノッサの屈辱は、法皇がハインリッヒ王に屈辱を与えたが、その後の8年間は、ハインリッヒがグレゴリウス法皇を追い詰めることになる、これは教科書には載っていないこと(p14)
・1095年のクレルモンの公会議で、オリエントへの遠征は決まったが、それ以前に決まっていたのは、1)キリスト教徒同士は「神の休戦」にただちにはいること、2)聖なる戦いに参加するものは、胸部か背中に、赤い布で作った十字のしるしをつける、3)東方への出発は、1096年の聖母マリアの昇天祭の日(8/15)にすること(p22)
・教会の前には物乞いはいても、美術館の前にはいない、これは祈りの場と芸術鑑賞の場の違い(p29)
・皇帝ハインリッヒが雪の中に立ち尽くしてまでも法王に破門の解除を願ったのは、法皇による破門の処置が諸侯たちの離反の理由になりかねなかったから(p33)
・隠者ピエールの十字軍は、7月の終わり(法王の定めたのは8.15)にはコンスタンチノープルに接近していた(p50)
・貧民十字軍は、小アジアに踏み入れた途端に、聖地に近づくこともできず消滅した(p52)
・ビザンチン帝国の領民であるギリシア人に対しては、イスラム教徒は「ローマ人」と呼んでいた、ビザンチン帝国は公式には、ローマ帝国と称し続けていたから(p68)
・可能な限り事実に迫ることができる歴史の記述には条件がある、1)両者ともに利害関係のもたない第三者が書き残したものが存在する、2)正確を期することが習慣・伝統になっている民族の残した記録を参考にできる場合、それに該当するのは、中世のベネチア共和国と、古代ローマ帝国のみ(p74)
・アラブ人、トルコ人は、もともとが遊牧民なので、戦いに向かうときには全財産を持っていく習慣がある、イスラム教徒の軍に勝つことは、一財産を手中にすることになる(p205)
・小アジアを通過することの難しさを知った巡礼たちは、聖地へは海路を選ぶようになる(p249)
・1118年を最後に、十字軍史の第一世代が全員退場した(p284)
・第一次十字軍の主人公(ヨーロッパ各地に領土を持つ諸侯たち)は、最終目標の前には常に団結した、この点が利己的で仲間割れすることでは同じである、イスラム側の領主との違いである、これが第一次十字軍が成功した主因である(p286)