・GHQが公職追放の覚書(7項目)を出して、最終的には20.6万人がパージされた(p87)
・B,C級戦犯は、簡単な審議で次々と死刑判決が下され、あっという間に執行されていた(p89)
・GHQの民主化政策のひとつが労働組合の結成、昭和20年暮れから多くの会社等で労働組合が結成され、秋には組織率40%、400万人になろうとしていた(p96)
・戦前、日本はアメリカから石油の8割を輸入していたが、それを断たれたためにアメリカとの戦争に踏み切った(p108)
・当時、商業の最高学府は、東京高等商業学校(一橋大学)であった、4年制はそれ以外では神戸高商(神戸大学)、後に市立大阪高商(大阪市立大学)がある(p165、180)
・秋田市の八橋と呼ばれる地区には、草生津川(くそうづかわ)がある、草生津は石油の和名、もともとは「泉水」(くそづ)と呼ばれていた(p171)
・灯油を使う以前のアメリカは、ランプの燃料には鯨油である、ドレイク大佐が油田をアメリカで発見したのは、ペリーが来航した(1853)6年後である(p174)
・関東大震災の経済的損失は55億円と言われた、当時の国会の予算が14億円、東京府内にある銀行の半分が倒壊して金融業界は機能停止した(p282)
・満州事変の辺りから、日本の石油消費量は、輸入石油が国産を上回っている(p319)
・昭和10年当時の世界の原油生産・販売の80%以上は、「ニュージャージー・スタンダード」「アングロ・ペルシア」(イギリス)と、「ロイヤルダッチシェル」(イギリスとオランダ)であった(p323)
・当時、内地では、日本円の100円は23ドル前後であったが、上海では11ドル程度(p337)
・アメリカが対日経済制裁の宣告をした当時、オランダ本国は同盟国ドイツに占領されていたが、インドネシアはロンドンのオランダ亡命政府の統治下にあった(p352)
・パレンバン油田は当時、南方最大の油田で、年間産出量は当時の日本の年間石油消費量を上回るほど(p357)