・1981年、ギリシアはECに加盟、ユーロ加盟は2001年である。その際、巧みな粉飾があったことは、当時も知らなかったとは思えない。感づいてはいたが、欧州の祖であり、民主主義の本家でもあるギリシアをECに加えたいばかり、見て見ぬふりをしたのではないか(p5)
・冷戦下において、ギリシアの隣国は悉く社会主義、同時にギリシアは、イスラム文化圏に対する防波堤でもあった。1453-1829年まで、オスマン帝国の支配下にあったこの国が、再びイスラムに引きずられてはならないと考えられた(p5)
・ギリシアのユーロ圏離脱が起きれば、EUは一気に弱体化する、まさに民主主義の崩壊への第一歩を意味する(p18)
・アテネでは、政治に参加できるのは、18歳以上の成人男子のみ、紀元前430年当時、3万人。アテネ市民の人口は12万(p22)
・1829年、ギリシアはほぼ2000年ぶりに国として復活するが、首都アテネの人口は4000人程度(p23)
・日本で明治維新が起こった時、天皇を玉座から引きずり降ろそうと思いついた人は存在しなかった(p26)
・2004年と07年の東欧国のEUへの参画は、驚くべき出来事であった。東欧、バルト海の国々も、NATOに組み込まれた(p34)
・EUは7年の枠で予算を編成する、現在の枠は、2014年から2020年。予算が決定したのは、2013年2月だったが、EU歴史が始まって初めて予算が3%も縮小された(p49)
・EUに納めている額と受けている額をプラスマイナスしたとき、持ち出しの国は、ドイツ・デンマーク・ルクセンブルク・イギリス・スウェーデン・オランダ・ベルギー・オーストリア・フィンランドなどの12カ国、あとの16か国は実入りが多い。一人当たりで最も多く貰っているのが、ポーランド(p50、51)
・イギリスはサッチャー首相時代の取り決めで、拠出金の66%を免除されている、これはイギリスの同意なしには変更できない(p54)
・イギリスは、リスボン条約でも多くの例外を勝ち取った、イギリスは、内務と司法の分野においては、どのEU法律を採用するか、しないかを選べることになっている(p62)
・ギリシアのチプラス党首の圧勝を見ていくと、選挙前のギリシアの国状と、ヒトラーが台頭したときのワイマール共和国の国状とが、似ているように感じる(p81)
・ユーロ国は自国のための金融政策がとれないので、ドイツにとってはユーロは常に安く、輸出しやすい環境となり、貧しい国にとっては、ユーロは常に高く、国際競争力は弱まる(p115)
・スイス国立銀行は、2015年1月15日に突如、スイスフランとユーロとの連動を解除したので、スイスフランは一夜で値上がりした(p117)
・難民に適用されるのは、シェンゲン協定ではなく、ダブリン協定である。難民は、最初に足を着けたEU国で庇護申請をしなければならない。なので、イタリア・ギリシア・ハンガリー・トルコ(200万人)に難民がたまったのは当然(p131、151)
・ハンガリーは、増え続ける難民に困り切り、150キロにわたるセルビアとの国境に、高さ4メートルの鉄条網の柵を作っている(p154)
・スマホは難民の最重要ツールで、あっせん業者との連絡支払いは、すべてオンライン。一般のインターネットではなく、犯罪者の使う秘密ラインで、ダークネットと言われる(p160)
・ドイツが国境検査を行い(2015年9月から)、オーストリアはハンガリー国境に軍隊派遣、チェコもオーストリアとの国境を監視、これは往来自由な、シェンゲン圏内である。シェンゲン協定、ダブリン協定も停止したのは、ドイツであった(p162)
・美しい理念で始まったEUは、難民というかたちで内外価格差が可視化された途端、当初の目標であった統合はそっちのけになった(p178、186)
・EUもアメリカも、自国の農家を巨額な補助金で支援している。EUの予算で一番大きい項目は、農業に対する補助金で、全歳出の45%を占める(p214)
・第二次世界大戦前、ワイマール政権は、あまりにも模範的な民主主義に没頭して、国民の反感を買い、ヒトラーの台頭を招いた。メルケル首相の難民政策は、一つ間違えば、当時の国民感情の再現を促す危険を包有している(p217)