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summary

真田幸村 家康をもっとも追いつめた男 (小学館新書)

真田幸村 家康をもっとも追いつめた男 (小学館新書)の写真

・真田幸村が歴史上に現れるのは、大坂冬の陣から夏の陣にいたるわずか半年に過ぎない、そんな短期間の活躍の中で、とくに私たちの魂を揺さぶり続けるのは幸村の最後の一日であろう。絶対多数の攻城軍を率いる総大将家康の討ち死に、そんな起こりうるはずのない奇跡的な状況を幸村はまさに現実のものにしかけたのである(p19)

・中山道の総大将に秀忠を任じたのも、関ケ原という晴れ舞台で主役を演じさせ、後継人たる秀忠の地位を不動にしようとしたから、なので参謀には本田正信、榊原康政、大久保忠隣を配した(p101)

・真田家は完全に本領を安堵された、これは過分すぎる措置である。西軍に味方した大名88家が改易処分となっているから(p104)

・家康が豊臣征伐への気持ちを傾けさせたのは、二条城の会見から一年ちょっとの間に、池田輝政、浅野長政、堀尾吉晴、加藤清正、浅野幸長、前田利長等の秀吉恩顧の大名が鬼籍に入っている(p117)

・江戸時代に大名となった織田一族は、信雄あわせて4家しかなく、有楽斎は最後は織田家の勝ち組といえる(p181)

・団右衛門は、加藤嘉明、小早川秀秋、松平忠吉、福島正則と次々と主君を変えるが、ついに牢人にまで落ちぶれた。旧主嘉明が妨害したからと伝えられた(p186)

・幸村が本陣への突撃を命じたとき、家康の旗本たちは次々と逃げ始めた、これは三方ヶ原以来、40年前と同じ状況が起こった(p207)

・切腹を覚悟した家康だが、このとき本陣の危機に気づいた松平忠直の軍勢が救援にかけつけた、それと同時に真田隊の動きが完全に止まった、三度の激しい突撃でほとんどの真田兵は討ち死にした(p207)

・天下人を窮地に立たせたことが、庶民の心に大いなる清涼感を与えたのが、幸村である。合戦の巧みさだけなら、毛利勝永、勇敢な戦い方であれば、後藤又兵衛である(p219)