・現在、日本国民の多くが大東亜戦争を支持したという事実が忘れ去られ、まるで日本国民は一部の戦争指導者に騙された被害者であったかの議論が横行している。間違いなく日本国民は日米開戦を熱烈に支持した(p12)
・大東亜戦争とは、昭和16年に内閣の閣議決定で定められた先の大戦の呼称であるが、その閣議決定では「支那事変」も含めて呼ぶことが確認されているので開戦の時期が16年よりも遡ることになる。太平洋戦争とは、アメリカが日本を占領した時に強要した名前で、大東亜戦争の呼称を禁止した(p21)
・昭和天皇は、大東亜戦争の要因が、第一次世界大戦後の平和条約(ベルサイユ条約)の中に存在していることを指摘している、また国際連盟設立の際に日本が主張し、米英によって退けられた「人種平等案」についても語っている、さらにカリフォルニア州における排日移民法の存在についても言及している(p34)
・明治維新とは不思議な革命であった、特権階級に所属する武士たち自身が自分たちの特権を捨てるために敢行した奇妙な革命であった(p36)
・大東亜会議とは昭和18年秋に、アジアの指導者(ビルマ、満洲国、中華民国、タイ、フィリピン、自由インド仮政府、日本)が一堂に会し、欧米列強の数百年に及ぶアジア侵略の罪を糾弾し、傲慢な植民地主義を打倒する大東亜戦争の意義について語り合った(p40)
・古代ギリシアには市民の資格を持たない者、すなわち奴隷が存在していた。古代ギリシアの民主主義とは、あくまで成人男子の市民の間における民主主義である、民主主義と奴隷制度とは、相反する関係のように思いがちであるが、両者は必ずしも対立するものではない(p45)
・欧州文明が優れていたというよりも、その発明した武器(大量破壊兵器)が他の文明を圧倒していたことに尽きる(p53)
・欧州人は直接、アフリカ人を捉えるのではなく、現地の有力者と手を結び、自分たち自身は手を汚すことなく奴隷を手に入れた、当初奴隷とされていたのは、罪を犯した重罪人であった。当時のアフリカでは、重罪人は奴隷にされて罪を償う文化が存在していた。しかし需要が増えたでアフリカ内陸部の村々を襲撃して捕虜となったものを奴隷にした(p67)
・リンカーンは「奴隷解放の父」と呼ばれる大統領だが、彼の主張は、白人と黒人は平等ではあり得ない、黒人は政治参加もすべきでないし、白人との結婚もあり得ない、白人が上位にあって黒人は下位にある(p69)
・秀吉の「バテレン追放令」の背景には、知られざる日本人奴隷の問題、キリスト教徒による侵略の問題があった、ポルトガル人が日本人を奴隷として売買しているにいとに憤りを感じた政治家であった(p97)
・アメリカは「出生地主義」なので、アメリカに移り住んだ日本人移民にはアメリカ国籍は与えられないが、その子供たちには生まれた段階でアメリカ国籍を持っていることになる(p161)
・イギリスは自国で重い罪を犯した流刑因をアメリカ大陸へ送っていたが、1776年に独立したので、代わりに見つけたのが不毛の地・オーストラリアである、こうしてイギリスの植民地に組み込まれた、オーストラリアを発見したのは、イギリスでなく、ポルトガル・スペイン・オランダ人がアジアへの商業版図を広げるなかで偶然に見つけた、しかし彼らは不毛の地であることに失望して植民地化しなかった(p183)
・第一世界大戦において中国山東省の青島はドイツの租借地であり、日英同盟に基づき参戦した日本は占領した、ベルサイユ条約では日本の青島権益が移譲されることが決定した、しかしこの後に、アメリカの圧力により放棄させられることになる、これに対して日本人が憤ったのは事実(p199)
・民族自決とは、アメリカ大統領ウィルソンが提唱した概念で、その民族の問題はその民族に決定させる、という考え方。この原則に従って、東欧ではポーランド、フィンランド、バルト三国が独立するが、アジアに適用されることはなかった、植民地独立を好まない、イギリス・フランスなどが反対したため(p214)