suu3.jp 戻る

summary

臥竜の天(上)

臥竜の天(上)の写真

・1584年(天正12年)の秋に、伊達政宗は父輝宗から家督を譲られて、出羽米沢城主となった19歳の青年武将である(p8)

・ひとつの物事をつらぬく意志の強さも大事だが、危機にさいして機敏に頭を切り替える柔軟さを持つもの、大将たる者の条件である(p75)

・会津の名門、葦名家を破ったことで、家督相続5年にして、総石高150万石(奥州54郡、出羽12郡の中の半分近い30余郡)を手に入れた(p175)

・豊臣秀吉の小田原(北条)攻めは、東海道勢:17万、信濃路勢:3.5万、水軍:1.4万、秀吉本隊:3.5万の合計25.4万、北条は、相模・伊豆・武蔵・上総・安房・上野等の285万石から7万人を動員した(p197)

・1587年の奥州仕置きにより、伊達政宗は、米沢・伊達・信夫地方の70万石となった、本拠会津黒川城から、米沢城へ戻ることも命令された(p247)

・豊臣秀吉は、大名達の連合体の上に豊臣家が立つ地方分権をめざし、この考え方は徳川家康に引き継がれた、これに対して石田三成らの奉行は中央集権を目指した(p251)

・北条氏が滅んだのち、徳川家康は従来の三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の南半分の130万石に代わり、伊豆、相模、武蔵、上野、上総、下総の242万石となった(p263)

・奥州平定により、伊達家の所領は合計61万石となった(p375)

・蒲生氏郷の72.4万石(検地により92万石)は、徳川家康、毛利輝元(112万石)についで3位(p376)