・歴史は大小の決断の連続であり、無数のイフの群が相互排除的にひしめき、最後にその一つが他の全てを押しのけて場所を占める瞬間の持続である(p17)
・徳川慶喜は大政奉還(10月24日)ですぐに将軍を辞任したわけではなく、公式に将軍職を罷免されるのは、12月9日の王政復古クーデターを待たなければならなかった、徳川家抜きでは日本の政治は動かないと慶喜は読んでいた(p23)
・12月16日に慶喜は、英仏蘭米プロシア伊の6カ国代表と謁見して、外交権は自分にあることを示している、12月14日には新政府の出納係が慶喜に泣きついて5万両を引き出している、新政府は無一文であった(p33)
・幕末の頃のレートは、1両=1.2ドル、幕府はフランスへ武器を発注したが代金が払えなかったので、受け取れたのは30万ドル分(残りの42万ドル分は保留)であった(p61)
・旗本とは、将軍親衛隊の意味であるが、幕末最大の緊急時には役に立たなかった(p97)
・旧幕府軍の奮戦により薩長軍は橋本を攻めあぐんでいたが、淀川対岸の山崎を警備していた津藩藤堂家32万石が、戦闘4日目にして新政府軍に寝返った(p239)
・慶喜の篭っていた大阪城には、深い堀、高い石垣、堅固な大砲陣地、十分な兵糧があったので、数カ月は持ちこたえられたと考えられる(p269)
・大阪城にあった古金の18万両は持ち出されて、箱館政権を樹立する脱走艦隊の軍資金に使われた(p278)