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summary

なぜリーダーは「失敗」を認められないのか

なぜリーダーは「失敗」を認められないのかの写真

・1900年の時点では、自動車が大衆商品になることはあり得ないと思われた、馬車製造業者組合の会長によると、1894~99年に販売された馬車の台数が35万台に対して、自動車はわずか125台であった(p18)

・自動車は当初、何であるかではなく、何でないかによって定義されていた、1900年当時の人にとって見れば自動車を通勤に来る日はあり得ないというのが合理的な結論、日没後や雨や雪の日は使えないので(p20)

・発売当初のフォードTモデルは850ドルであったが、値段を下げ続け、1912年には当初の目標の600ドルを達成、1920年には440ドル、4年後には290ドルと冷蔵庫の半額まで下がった(p24)

・1920年にはアメリカは史上初めて都市部の人口が農村部を上回った、これは農民のための車を標榜する田舎くさい男(フォード)には悪い変化であった(p31)

・破たん状態にあったGMは、1920年、化学メーカーのデュポンに買収された(p35、224)

・モデルTの値下げを進めた結果、1924年初頭には販売台数1台あたりのフォードの利益はわずか2ドル、利益の95%以上を修理部品、付属品から得ていた(p39)

・モデルTの後継のモデルAは技術的には進化したが、会社のビジネスモデルは変わらなかった(p46)

・19世紀後半から20世紀にかけての数十年間は、アメリカにおけるゴム産業の中心地として、オハイオ州アクロンが有名であった(p59)

・1970年には、タイヤメーカーは生産量の30%をビッグスリーに、70%を直営店や、大手小売りチェーンのシアーズやアトラス(現在のエクソンモービル)または独立系ガソリンスタンド、修理工場経由で販売していて、利益は直営店か独立系ディーラー経由で販売する交換用タイヤのみ(p61、65)

・ラジアルタイヤのような業界構造に影響を与えるハイテクタイヤを、アメリカ5大メーカがいずれも否認したことが衰退の原因(p83)

・AP&Pがとった短期の不動産リース契約は、大恐慌時には功を奏した(多くの小規模店を閉鎖してスーパーマーケット業態へ変更可能)が、別の時代には機能しなかった(p107)

・食料品の低価格販売におけるリーダー的存在であったが、そうした立場を維持できるのは経営コストが同業他社よりも低い時のみ(p109)

・IBMが取った行動(パソコン用部品を外部ベンダーから調達)は、マイクロプロセッサの供給契約を勝ち取ったインテル、OSのプログラム開発を任されたマイクロソフトに利益を与えた(p168)

・1985年4月にニュー・コークを発売した時、オールドコークを残す可能性は無いとコカコーラは言い切ったが、わずか79日で終わり、1985年7月に元の味を少し名前を変えた(コカコーラ・クラシック )だけで再投入、2009年1月に完全に名前を戻した(p173)

・インターネットがビジネスのルールを変えることは無かった、売上よりコストが高い企業が成功することはなかった(p198)

・デュポンの主要製品ラインは、黒色火薬・無煙火薬・ダイナマイトの3つであった(p221)

・デュポンに関して最も称賛されるべきことは、一切否認をしなかったこと、徹底した真実の究明に努めたこと、不愉快でも現実を直視しようという意欲があったこと(p240)

・否認は、厳しい現実をわきに押しやり、耳あたりが良く、自分にとって都合のいい筋立てを受け入れた時に起こる(p272)

・否認に立ち向かうのは、まさに今、危機を待っていてはいけない(p303)

・両者の明暗を分けたのは厳しい現実に直面した時、それを否認したか、受け入れて立ち向かったかの違いである(p324)

2011/7/23作成