・昭和20年7月24日、343航空隊は21機で、16機以上の相手を撃墜した(p20)
・戦争末期に「誉」のエンジンを搭載していた海軍機は、16試艦上爆撃機「流星」、17試艦上偵察機「彩雲」、同艦上戦闘機「烈風」(試作機)、18試局地戦闘機「天雷」(試作機)、18試陸上攻撃機「連山」(試作機)、局地戦闘機「紫電」「紫電改」である(p27)
・明治末頃の市役所(中学出のエリート)の月給は5円(p71)
・後年のパイロットの大量養成時代とはことなり、艦上機だけで30名前後、そのうち戦闘機専修は10-15名程度の少数精鋭(p118)
・予科練の生活は手紙を見る範囲では楽しそうに書かれているが、厳しい検閲があることは割り引いておくべき(p130)
・ゼロ戦はF6Fとの戦いで苦戦を強いられた、この経験が紫電改での対戦に役立ったのは事実(p181)
・日本で最初の2000馬力エンジンである「誉」を搭載した「紫電」は、アメリカの新鋭グラマンF6F「ヘルキャット」に対抗し得る新型戦闘機であった(p216)
・松山343空の陣容は、搭乗員だけでも120名、整備員や地上員を含めると3000人を超える大部隊であった(p285)
・司令の源田大佐は、米軍の戦闘方式に対抗するため、それまでの単独戦闘をやめて、編隊戦闘に切り替えた、最小単位は4機でこれを一区隊として四機一体の行動をとった、最低でも2機は一緒に行動して援護する(p286)