・当時使われていた旧暦と現在の歴で同じ日付を比べると、季節のずれの大きさは1か月ほど、このようにずれたのは明治の初めに行われた太陽暦の改暦(p11)
・季語や年中行事にしても新暦の時代に生まれたものの数はわずかで、大部分は旧暦時代に生まれたものを借用して使っているから、暦上の季節と現実との間に違和感を覚える(p13)
・新暦が明治6年1月1日となる直前の日付は、明治5年12月2日(p18)
・季節と暦月が大きくずれないように、太陽の動きから求めた1年と月の満ち欠けから求める暦月とを調整する機構として「閏月」と呼ばれる臨時の月を挿入する(p20)
・立春が年の初めにあり、しかも1回だけという当たり前と思える年は、2003年の1度(p22)
・24節気の割り付けは定気法を採用、この方式は太陽が1年をかけて空の上を横切る「黄道」を15度ずつ24等分した(p32)
・江戸時代の武士などは年俸制の給与体系なので、1年が13か月もある閏年の家計のやりくりは大変だったはず(p34)
・地球が太陽に最も近づく時期は新暦1月の上旬、短い時期と長い時期では2日も異なる(p34)
・天保暦では24節気で特に重要な春分、夏至、秋分、冬至を含む月は、2・5・8・11月に固定して他を調整した(p35)
・24節気は、天文学的(4)、暦学的(4)、気候(13)、動植物(2)、農作業(1)のタイプがある(p55)
・5節供とは、人日の節供(1月7日)、上巳の節供(3月3日)、端午の節供(5月5日)、七夕の節供(7月7日)、重陽の節供(9月9日)(57)
・奈良時代にも7種類の穀物(米・粟・稗・蓑米・胡麻・小豆・黍(きび))を用いた粥を食べる行事があった(p58)
・3月3日の節供では、河で禊を行い汚れを落として宴を張る習慣があった、日本では流し雛となった(p60)
・五行説による分類は季節にも及び、冬・水、春・木、夏・火、秋・金と分類された、そして残りの「土」は四季の終わりの部分にそれぞれ割り当てられた(p77)
・月は地球にとって規格外に大きな衛星なので、地球も月の大きな影響を受ける(p110)
・人間の平均妊娠期間は265日教で、平均朔望周期のぴったり9倍(p113)
・旧暦時代は、3つの月の最初を長兄(孟)、次兄(仲)、末弟(季)と兄弟に見立てた(p120)
・紀元節は、辛酉年庚辰を西暦年に直した紀元前660年2月11日を日本の誕生日としたもの(p134)
・現在の会計制度は、明治時代にイギリスの制度を取り入れたもの、財政難の政府は何とか決戦期を先延ばししたいので、決済時期を年末の12月から3か月引き延ばすために採用したと言われる(p148)
・ユリウス暦はわずかながら天文学的にみた本当の1年とずれている、1年につき11分程度だが、グレゴリオ13世が教皇を務めた時期はユリウス暦から1600年もずれていて、その差は10日以上となっていた(p218)
・325年のニカエア公会議で復活祭を計算する方法を決定した、それは「春分後、初めての満月の日曜日、但し春分は3月21日とする」であった(p220)
・1582年10月4日、いつものように夜が明けていつものように日が暮れたが、その次の日は10月15日であった(p221)
・ロムルス暦は1年が10か月であった、1月と2月は冬籠りをしていて社会的な活動をしない期間として日付に数えなかった、月の名前は3-12月に当る期間の10か月しかなかった(p223)
・紀元前8世紀に1年を12か月とするヌマ暦がつくられ今までの月の末尾に付け足された、なので2月は1年最後の年末の月であり2月で閏年とそうでない年を調整した、平年は29日で閏年は30日
(p224)
・カエサルは政治的な1年に一般の1年を合わせることにして、1年の始まりをそれまでの3月から1月に移動させた、これによりSeptember(7番目の月)が9月、October(8番目の月)が10月と、2か月のずれが生じてしまった(p225)
・現在の7月の名前は、Julius(ユリウス)から、August(Augustus)からきている、偉大な皇帝の業績をたたえるため皇帝の名前にしたが、ユリウスと同格にしたいので8月も大の月に変更、すると大の月が3か月並ぶので、それ以後の月の大小を入れ替えた、そこで増えた2月の日数を1日減らした(p226)